新たな愛と「アンナ・カレーニナ」
全身が一つに成っていくプロセスを次々と経験させていただいている日々をありがとうございます。ヴェールを脱ぎ、自分自身を生きる いのちのちからがとても自然にはたらいているのを感じます。そして昨夜のコンサートメッセージ 二部の「新たな愛」をお聞きし大変驚きました。
いだきしん先生自らこれからの動き方を表明していただいた先日のアントレプレヌールサロンで、読書に関する質問者への答えとして「アンナ・カレーニナ」の話をしていただきました。その時はかつて読んだけれどほとんど忘れてしまっているし、本を読むには今は時間が中々難しいと、そのままになっていました。ところが、昨日の未明にふっと「まず映画を見よう!」と閃き、かつて見た2本の映画のうちの新しいほうの2012年制作版を一気に見ました。この数年、次々と「愛」について表現していただき、実に豊かな愛の表現に多く触れてきたのですが、いつしか「これまでの愛」って結局どのようなものだったんだろう?と疑問が湧いていたことに気づきました。「アンナ・カレーニナ」は一つの事例でしょうし、小説と映画の違いもありますが、ロシアの大文豪トルストイの世界中に知られる名著の映画化です。見るとすぐにわかりました。
情動により次々と見事に言葉や表情、身振りで即興的に表現し、全身一つで行動していく感情豊かなアンナの人間性と愛に生きる女性の真の姿が女優 キーラ・ナイトレイによって見事に演じられていました。結婚したパートナーは法律家で哲学に憧れる「アレクセイ」。新たな出会いの瞬間に心奪われる若き軍人の名前も「アレクセイ」。アンナと「二人のアレクセイ」との三人の関係性が愛を表現していきます。上流階級の社交界の中でもみくちゃにされていくアンナ、世間体や社会性で縛られるアレクセイ、困難が続くことで気持ちが変転する一過性のアレクセイ。約150年ほど前のロシアの世界のことですから色んな意味でジェンダーと捉えると分かりやすいこともあります。しかし、三島さんの文学についてお尋ねした時に、三島さんは死に向かうしかない生き方とお聞きしたのと同じくアンナも死に向かうしかなかった・・、小説を書いた大文豪トルストイでさえ晩年は奥さんとの確執で野垂れ死にのようにして亡くなっていったことも含めて、普遍的に生に向かう生き方がこれまでの人類史には無かった・・。と、わかったようなことを書いている自分は全くのお手上げ状態どころかそういうことのこれっぽっちもわからないままに妙に気になっていたトルストイでした。ところが幸運にも いだきしん先生との出会いがあり、ずっと学び続ける恵みがあり、過去の読書体験が漸く今に繋がってきています。もちろん読書だけでということではなく、生きることについて常に考え、行動し、次に向かい、考え・・・、と、いだきしん先生からの学びが身についてきたと感じます。
人間全般、人類、という飛んでもなく巨大で広く深い世界、さらに人類誕生以前から続く いのちの歴史と表現される豊かな過去の歴史までも紐解かれ、「人間とは?」の答えを出された いだきしん先生。先生が独自にはじめられ、奥様の晴美さんとの出会い、高麗さんとの出会いからいだき講座開講へ・・。その生き方を弛まなく伝授していただいている私たち一人一人が存在を表すことが問われる今、新たな愛の可能性を秘めた人生に巡りあえた幸運に心より感謝致します。
一部の「長崎を最後の被爆地に」するためにも「新たな愛」の広がりこそが解決策とわかる今、先生が発見され、実践されてきた生きながらにして生まれ変わる人間の生き方を身につけて、着々と実践することより生を生き生きと生きる道は無いと行き着きます。これまでの人生、これからの人生に裏も表も無く一つと成っていく 生きるちからで先を創ることが人間と気づきます。いつも尊い経験の場を次々と創っていただきありがとうございます。