新しい食卓
昨日、盛岡に朝到着すると、木々の花々は満開です。色々の新芽も緑の花のように光って咲いていて、タンポポ、チュウリップ、水仙など一斉に咲く北国の春です。雪の残る山のてっぺんだけ、光がさしていて、山に会えるだけで、ありがう…と、この地に着くことができて、感謝でした。高麗さんが盛岡の自然にもたのんでくださって、盛岡で倒れた姉が、こちらにくる前に一時一泊帰宅することができて、先生、高麗さん、皆んな、全てのはたらきに感謝でいっぱいです。
家族でいただく食事をつくることも、適当な自己流でなく、卵一個ゆでるのも美味しくできるように、しらべると色々コツがあったり、気になった食材の効能も調べると合点がいくこともあったり、豊かな生活になっていけるよう、新たな「時間」を生きていきます。多分、今まで育ててもらった時ではない流れが家族との食卓にあって、感謝でいっぱいです。
又、先生のサウンドを聴いたレバノンのオリーブオイルで、固まって動かない姉の手と、装具をつけて腫れ上がっていた足をマッサージすると、みるみる腫れがひき、固く握っていた手も開いていきました。サウンドをきいている食材のパワーに、姉と一緒に驚きました。
連続のコンサートに参加させていただき、毎日、こんなにも音がちがうことに驚きました。毎日まるで違うではないかっと。自分は、かわりばえなく、やばいと感じています。何の為に今あるのか問い、はたらきます。
講座が終わり、身に深く染み入るおいしい先生のコーヒーをいただき、高麗恵子さんのビデオ講演会にも参加いたしました。シリアの高句麗伝説の詩集のこと、詩をあらわして下さること、うれしく、webサイトであらわしてくださる毎日の詩と写真もすごくうれしく、小さな窓から一変にひろく深い空間に移行します。魂の食事のようで、毎日開いています。
ありがうございます。