KEIKO KOMA Webサロン

新しい年、ありがとうございます。


京都ロームシアターのコンサートが終わった後、桐箱のことを忘れていたことに気づき、会場のドアを出た後、慌てて引き返しました。このような状態ですので、桐箱は少ししか残っておらず、ときめく桐箱もありませんでした。しかし、11月の高句麗伝説で演奏されたアンダルシアのギターが、どうしても聴きたくて、何も頂かないまま帰ることはできませんでした。スタッフのお話では、仏教用語が書かれた桐箱が残っているとのお話でした。馴染みのない文字ばかりと見えるのは、包摂された頭と考え、とりあえずという気持ちは、申し訳ないのですが、「女」という文字に注目して、その文字で決めました。決めた後にその文字を見ると「女の口に実る」という文字に読めて、苦笑しました。本当の意味はわかりませんが、私はとても気に入りました。昨日、高句麗伝説を拝聴させていただきました。
1月1日の迎賓館コンサートでは、涙が溢れ、今もオンデマンドで聞かせていただいています。後半は、聴く度に涙が止まらなくなります。ただ、生きながらえるだけの時を過ごし、無力感に苛まれ、そのように、生き続けることは、苦しみも悲しみも無視し、時折、ほぐれると痛みを伴うのです。そして、ほどほど感じては、納めてを繰り返し、助けられた生命です。この演奏を聞くことができたことで、そう生きていたことも、受け入れられ、報われました。
1日と4日の応用コースでは、マリア様のお話をして下さいましたので、私は、バチカン市国でピエタの像を見たときのことを思い出していました。今、考えると、どのような気持ちや、意図があって、ここに展示されているのかと、複雑な感情が湧いてきます。「最後の晩餐」は、小学校のときに大きなポスターが気に入り、部屋に貼っていました。そこに描かれた構図の謎解きをしながら過ごしていた小中学校時代でした。先生のお話で、キリストの処刑の場に居合わせたマリア様、使徒のお話に、当時の隠された秘密に触れることができました。しかし、このことは、触れてはいけないことなのかもしれません。
この理不尽な体制と感じる社会構造の元が、この隠された事柄を知ることにより、更に、この体制を何とか崩したいという気持ちが増します。アンダルシアのギターを聴くと、砂漠を歩き続け、生き抜いた女性たちの空気が伝わってきます。そして、2日の深淵というコンサートメッセージも、改めて読み返しますと、まさに、歴史や体制が崩れるこの時を迎えようとしていることを、わかりました。ありがとうございます。

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東京高麗屋にて
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高麗恵子ギャラリーにて
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