KEIKO KOMA Webサロン

文化的


生きていく希望となるような文化が生命に光をともす。最低限生きていくためのものだけがあれば良いわけではなくてだ。誰が得をするために、世界が惨状であるのかは、調べても正確なところは一般人の私には知り切れない。ただ可愛いくて聡明そうなレバノンのお子さんたちの目に、お姿に、自分自身も人間として当たり前のことくらいはしたいとう気持ちになる。とにかく私は幸せを感じる。その幸せに余裕がないので一人閉じこもっている状態だと今日のお話から整理がつく。幸せの余裕って何だろう。私にとっては自分が自分のままで疎外されずに生きていけたらそれだけで幸せなのだ。恐らくそこがやっと掴んだ幸せの端緒である。ただそれは世間一般から見た幸せとはどうもかけ離れている気がして、自分のことでありながらもまるで他人のことのように、この人は大丈夫なんだろうかと少し疑問に思う時がある。自分で感じ考え学び拓く必要をとても感じる。

休まず移動してはたらいているけど、自分がおろそかになったときに、深夜帰宅しドアを開け電気をつけると今日先生が2度名前を出した虫が突然の光に驚いてサッと物陰に姿を隠す。そいつが出てきた途端に、もうこの安心できる一人だけの空間は、同じものではなくなり倦怠感と緊張感がないまぜになった「生きねば」という気持ちを起こす。あいつとも繋がっていやがる。否応ない。先のスケジュールを見通し、苦手な経理と事務を直視する。もう出てこないでくれと透明な気を飛ばしながら。ビャクダンのアロマを焚いて、内面ともに清浄に、と机に向かう。本日ありがとうございます。

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マドリード ギャラリー展示会場より
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比叡山 お茶室より
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NPO高麗 東北センターにて