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救われて


もしかしたら危機的状況にいたのを、また救ってもらったのだという思いにいる。風邪で弱っていただけではなく、なにも「問い」を発することのない状態の中でおとなしくしていたら、先生が何度もサインを送って下さるので、やっとものが言えた。しかし、それに対して帰ってきたのは、「頭が固い!」の一言で、不意を突かれた思い。(自分では随分柔軟に発想できるようになったと思っていたから)その上、「そんなでは先がない。」と言われ、無条件降伏。まじめで、気弱で、素直なだけでは話にならない。しかも、責任ある仕事と立場にいながら、周囲の評判ばかり気にし、結果の有無に一喜一憂し、ちっぽけな打算に酔っていたのでは、何の力にもならないではないか。えっ!どうしよう。どうしても思慮分別があり、選択があり、行動があるのではなかろうかと思ったまでなのだが……、必至に心の中で言い訳をしている。そしてそんな言い訳をすることが情けなかった。するとすぐに続いて、「山登りに行く場合」を例に話してくださったのだ。準備万端は当然、そこに「思い」はなかった、山に入り、危険を感じつつも、一歩一歩前進している、そのことがなんとも言えない喜びであり、至福であり、全知全能感なのだ。それを生きればいいのだ。難行苦行を強いられたように採るべきではなかった。
勝手に「高齢」を枠にしたり、「金銭」を当てにしたり、「頭脳」を理由にしたりしないで、「湧き上がる力は無限!幸せ意識も無限!」を楽しめばいいのだ。存在論の最後に、「これでやっと仕込みが出来ました。」と言って下さり、「これからどうする」にかけて、新しい年に向かって邁進していけばいいのだと導いてくださった。ありがとうございます。
ところで、わたしが初めて行ったのは、ロシアだった。22歳の時、「青年シベリアの旅」というツアーに参加して、バイカル号に乗り、イルクーツクまで旅をしてきた。まだ社会主義の時代であり、ソビエトの時代だった。ナホトカに着いた途端、英語はあまり通じなく、船の中でにわか仕立てで覚えた片言のロシア語が重宝した。五木寛之の『青年は荒野を目指す』を読んだからでもあり、ロシア文学になんとなく魅かれていたからでもある。ただドストエフスキーは難しく、ショーロフの『静かなるドン』の方が好きだった。ロシア民謡にも魅かれていた。その上、社会主義国は「良いモデル」のはずだった。しかし、実際は広大な大地と、人々の無限のお人好しさが救いだった。沿海州に広がるシホテアリン山脈にこそ「未来」があるように思えた。「ロシアの神秘」は、極東にまで及んでいると思えた。そして、自由に交流できることを願った。それは今一歩ずつ進んでいることに喜びを感じる。
風邪も良くなり、生まれ変わったような気分で、今日を生きています。

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