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救い


ガサとは何か、イスラエルという国がどういう国なのか、その本質の一端をしりました。これまでイスラエルは、数えきれないほどの戦争犯罪、国際法違反、安保理決議違反を続けてきましたが、それを国際社会はひとたびもきちんと裁いてこず、イスラエルに対する不処罰、イスラエルのやっていることは不問に付すという”伝統”が国際社会に形成されているという問題。イスラエルに対する不処罰に比べて、ロシアによるウクライナ侵攻で、国際刑事裁判所はすぐに動いて、プーチン大統領に対して戦争犯罪の容疑で逮捕状を出し、しかし、「2014年に起きたイスラエルによるガサへの攻撃を、戦争犯罪として調査してほしい」というパレスチナ側の要求に国際刑事裁判所が応えるまで、実に5年もかかっているという国際刑事裁判所の対応の違い。ウクライナのように、アメリカにとって都合のいい場合は国際法や人権が声高に主張され、メディアもキャンペーンを張り、アメリカにとって都合が悪い場合は、国際法も人権もまったく顧みられない。ヨーロッパ・キリスト教社会における歴史的なユダヤ人差別と、近代の反ユダヤ主義、その頂点としてのホロコースト。西洋社会はこれらの罪を、パレスチナ人を犠牲にすることで贖ってきている。ホロコーストの加害者側という立場から、被害者の立場を前面主張、利用するイスラエルに罪を問えないのか。そして今、アメリカもEU四ヶ国も、今回のイスラエルの攻撃に賛同し、アメリカに至ってはこれを支援している。2023年10月18日に、ガザで進行中のジェノサイドに抗議して、アメリカ議会施設を占拠したアメリカの正統派のユダヤ系市民たち500人が、「お前たちが行っている犯罪をユダヤ人の私たちの名前によって行うな」「自分たちの肉親や親族、愛する者が殺されたホロコーストの記憶を、パレスチナ人を殺戮することの正当化に利用するな。それは、ホロコーストの死者たちに対する冒瀆だ」とイスラエルに抗議している。これらの状況から、ユダヤ資本から見てアメリカという国でさえも政治的・軍事的な道具や外交カードとして利用していると捉えますと、敵国ロシアに対する対応と自国イスラエルに対する対応の違いは腑に落ちました。そのユダヤ資本とアメリカからみて国奴や民奴という言い方をされる日本。ユダヤ資本とアメリカの軍事政策に同調もしくは明確に反対しない、ときに棄権する日本政府はパレスチナ人を殺戮するジェノサイドに加担している。私はジェノサイドに加担する側に生きるのか。ガザで、パレスチナで本当は何が起きているのかということを「報じない」ことによってジェノサイドに加担している日本の主要メディア。「報じない」だけでなく、2023年10月7日以降の出来事を、あたかも「テロリスト集団のハマスがテロ攻撃を仕掛けた」といったイスラエルが流す情報を無批判にそのまま流している。

いつしか人事になっていました。
本当は全て自分事であるのに。
いつしか敵視するように見る日本の主要メディアが流す人々の死を「人間として」反応せずに生きてきました。
無関心、無気力、無視、思考停止、沈黙、諦め、無力感、慣れ、忘却、怠慢、、、。
「内なる力」は世界を変え、救い、平和を、愛を実現する。
世界中のあらゆる問題を解決するように生きる。
一人の内面が世界を救う、一人の死も世界そのもの。
一人の死を無視するは世界を無視している、その無視する私はどこで生きるのか。

過去に囚われたり、勝手に未来に思考をめぐらしたりということではなく、今に全力を集中している、物事に打ち込み、専念する「今ここ」。さらに「『今ここ』を超越」するという自己の五感を越えている存在をあらわして頂きました仙台コンサート。「時空を越えたつながり、共同体を意味することもあります」は、ガザにおけるパレスチナ人解放の歴史、民族的、宗教的な問題に神々と共に世界市民の一人として戦い、生きることをおもいます。果てなく尊いメッセージ、平和を希求する愛を、「『今ここ』を超越」というテーマに胸震えます。ありがとうございます。

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