打出浜のコンサートの夕べ
琵琶湖岸、打出浜。黄葉したメタセコイアが最後の輝きを見せて、夕闇に沈んでいく。叡山も比良も湖の向こうに沈んでいく。450万年來の晩秋の光景。大宮人の船は待っても来ないし、木曽義仲の憤死、明智光秀の悲しみ。悠久の寂しさとさざ波。もう20代のころ、死のうと思って、湖岸に一人旅したことがあった。われは湖の子さすらいの旅にしあれば……、孤独と孤立に揺られながら、湖岸を歩き、漁師の櫓の音を聴きながら一夜過ごしたのだった。それで不思議に気持ちは治まり、かえって生きる意欲を持ち得たのであった。
その夕方の光を現わしたような、茶褐色のイメージで、コンサートは始まった。なにか「かなしみ」の奥の奥の「光」にも思えて、体格をしっかり支えてくれる。ときに高い、清澄した音が、それこそ宇宙空間に向かっていき、体を解放し、心を舞い上がらせてくれる。「見る」とは、地霊への挨拶であり、讃歌であると白川静さんは言っている。(『初期万葉論』)そして、「感じる」ことの意味をメッセージに聞く。先生のピアノ演奏表現は、宇宙や生命との交流だと思えた。わたしの「個」は、広大な時空間に生きる力を得た。またまた再生したのだ!