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手紙を書く


塾のお知作らせの手紙を50通も書き、テストを三種類も作らねばならなかったので、ここ4、5日は、書き込みの余裕もなく、それが一層焦りにも似た気持ちを呼ぶので、ともあれ書き込みをして帰宅することにした。書き込みをすれば、存在からぶれないで生きていけると思うので。

郵便局で聞けば、土日の集配達はなしになっているし、翌日配達もなくなり、近いところでも中一日置いてのお届けになるのだとか。さらに、いろいろな手数料も値上げされるとか。これでは、手紙のやり取りをする習慣は消えてしまうだろう。過疎地のバス路線と同じで、客が乗らないから便数を減らし、便数が少ないから、だれも利用できなくなる。「書く」コミュニケーションの劣化が著しく、多くの市民は、SNSで事足れりとしている。しかし、あれが心の交流を支えるとは到底思えない。フェースブックは、まさに「標準」のなかでのやり取りで、偽善の上澄みみたいものだと思う。ラインのやり取りは、ちっとも「本音」を伝え合うものではない。
「みんな自分で言葉を紡いで文章を書いていると思っている けれど、実際には予測変換されたことをピッピピッピッピ」と選んでいるだけでしよね。それで十分に文章になるし、事足りる。」と国分功一郎が言えば、「言葉がただの道具になってしまっているんですね」と千葉雅也が応じていた。(『言葉が消滅する前に』幻冬舎新書)

返事をくれる人はめったにない。それでも、わたしは手紙を送り続けるだろうし、「書く」ことで、本音を紡ぐしごとをやり続けたいと思っている。

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