戦争加担を超える“冒険”への道
いだきしん先生の講座の場が変わって来ているのを感じながら、正確に捉えきれていない自分の状態が浮き彫りになった応用コースと存在論でした。
生成の門「玄牝」のコンサートの後から見事なタイミングでガンダムのギギというニュータイプの女性が登場、しかも実際の人間の女性でなくアニメ女性というところが象徴的な出来事です。AIの頭に“生成”とついてることにあらためて気づいたのは「玄牝」からです。人間を真似て“常に動いているからこそ”「生成AI」なのでした。ギギについては、これはもうガンダム映画を見て自分で感じとるしかありません。ちなみに数人の女性に薦め、見た感想を聞いたところギギの存在については、ほぼ空振りでした。それだけ現代の女性にはわからない存在なのでしょう。既存の社会にはまっていると見えない存在、ギギ。昨日は先生が山元町にギギ(のような女性)がいればすぐに動くという意味の話までされました。
こうして書いてることは実は講座の間にも感じているのですが、即座に先生との対話の中でことばに出来ません。講座の場では常に何か内面から生成されているのですが、追いつきません。その状態が質問や話し出すタイミングをズルズルと遅らせてしまうことはよくあります。そこにその状態を「戦争加担と同じ」と先生から厳しくご指摘を受けて、驚きました。が、一晩眠り、爽やかに目覚めると先生が仰った意味がわかってきました。「よくわからない」との理由で判断を引き延ばしてる間に「世界」は、「現実社会」は、急激に動いていてその時間差のところで実際に戦争が起き、結果的に態度不明のまま「起こした側を容認する」ことになってしまうのだと理解します。特に日本人は「空気の研究」を書いた山本七平さんの「空気という妖怪」に弱いので自分もその空気を構成する一人の存在になってることに気づきました。講座の場がまさに緊迫する世界,社会の「今、ここ」です。
かつて仙台の先生の母校の大学で学生集会が続き、黙り込んでる学生、姿を消していく学生が多い中で、議長席にてひたすら語り続ける先生の姿が浮かび上がり、京都事務所の空間と重なり合って観えてきました。「そうか、わたしという存在はまさに今、その場にいるんだ!! “仙台のその時の場と同じ場”に‼︎」と気づくのでした。「戦争に加担している」と先生に指摘された意味は書くことで理解できて、やっと自分事になりました。「世界がまだ決まっていない瞬間に、先に身を差し出してしまう」冒険のはじまり、全ての先生の場,フィールドでの出来事、世界です。
自分で考え、決めて、行動する実践の場をいつもありがとうございます。
