“我が人生の詩”
2025.10.13.京都・御所南高麗屋「幻のコグリョカフェ」にて /高麗恵子師の内面観想の詩句。(各自の内面に潜み隠れていたことが現るとか)
「これまでの方のときと流れが変わってしまって、これしか出てこないのです。」「でも、何か素晴らしいことで、とてもいいことです!すごいときが来ています!」と高麗先生がおっしゃって下さる。わたしはそのとき、何の屈託も、何の高揚もなく、空虚ではない「無」の境地にいた。朝から、昨日の「応用講座」のメモを整理し、自分の気持ちを書き留めていたのだが、急に、どうしても「高麗屋」に行き、コーヒーと菓子で心身を癒したくなったのだ。何年か前に行ったと
きとは、ずいぶん雰囲気が違うようにも思ったが、みんな神妙な顔して、高麗先生の「見立て」を受けておられる。『そういうことか』と思ったら、やはりわたしもお願いしたくなり、最後に観想してもらったのだった。暖かい「気」に包まれ、明るい「光」が満ち満ちて、その場がすばらしい「場」になったような思いがし、高揚と希望と明朗を一度に感じたのだった。 詩を書き、文を綴って、暮している自分の今の在り方が、そのまま認められたような気にもなり、すぐに、昔のフォークソングを思い出していた。中津川の教師とうた仲間の作品で、高石ともやがレコーディング。わたしもよく口ずさんでいる歌だ。
カラマツ コメツガ 針葉樹林 かもしか 月の輪熊 走る稜線
聳え立ち 連なる わが山々よ 聳え立ち 連なる わが山々よ
柿の木 赤土畑 広がる水田 川柳 青い水 流れる河川
この土地に 生きているわたしの暮らし 私に流れる 人たちの歴史
わたしが歌う 歌ではない あなたが歌う 歌でもない
わが山々が わたしの歌 わが大地が わたしの歌
――「わが大地の歌」(詞:笠木透 曲:田口正和/1974年/フィールド・フォーク)
ただ、こんなお経のようなものでないと思う。もう少し個人的混沌があって、それをなんとか言葉にしたい詩にしたい、そして、個性的で、孤高的で、溌溂とした人生を生きて行こうとする意欲が込められているように思う。
ともあれ、この詩句を得てから、人生のステージが変わったように思う。後のコンサートの体験も重なって、これまでのことはともかく、新しく元気に生きていくことを保証してくれているような言葉に思えて、ワクワクしている。現実には、パソコン・トラブルで往生したり、支払いに換えまわったり、ドタバタはしているのだが、とても元気に、ハードスケジュールをこなしている。感謝感激です。(10/15)