我が事として
昨日は会社で何をするにも時間がかかり、業務の捗らないことに焦りというより疲弊していました。相手の感情がこだわりとなり話も長くなるので一向に前に進まず、怒られるか説教されて終わるパターンでした。それも一人ではありませんでした。慌てて会社を出たものの、第二部の開演にも間に合わない時間になっていました。行く途中、ライブ配信で第二部のメッセージをお聴きした時、「言葉は命」であり、「尊いご自身のことです。」との言葉に涙が溢れました。20時近くに到着し、会場の扉を開けて頂いた瞬間に包まれる、先生のパイプオルガンの音と後ろ姿に涙しかありませんでした。今まで居た世界とは、別世界でした。ただひたすらお聴きする時、先ほどまでのぐちゃぐちゃに投げ込まれたものが何もかも溶けてなくなっていきます。あたたかな光に包まれ、穏やかな命を取り戻していくのです。余計な言葉も何もありませんでした。生き返る30分間です。その経験をさせて頂きながら、今朝目覚めて愕然としました。気づけば頭の中でまたしても、昨日の会社での出来事を反芻していたのです。過ぎたことを、然も嫌なことをわざわざ思い出している自分とは何なのかと考えます。昨日、疲弊した相手は正に自分の中にもありました。自分だけが分かっていて、自分の意が伝わらないと感情的になる。自分の立場からしか見ず、相手のことを考えない。論点がずれているのに、相手を説教する等、なるほどと自分の在り方を見ました。単に昨日の嫌なことを頭の中で思い出していたのではなく、もっと我が事として捉えよとのメッセージでした。今更ながらで申し訳ありませんが、先生にお会いするということは、どれだけ自分のことに気がつき、変えていけるかなのだと実感する朝です。ありがとうございます。