感銘
4月19日の大切な記念日をお迎えする度に、12年前と10年前の4月に他界した 自分の両親 二人のことも思い浮かべます。人の死は厳粛なる場。いだきしん先生がかつて勤められていた施設にいらした皆さんが、施設が別の敷地にお墓を所有していることを話され知り、自分が死して見舞ってもらえると判ったら そこから御利用者と施設側の人との信頼関係ができていく。この昨日の御話に、自分は深い安堵と感銘を受けました。先生が関わられた、少年達と先生との真の信頼関係が生まれていく過程の御話にも感動し、先生がその仕事から去られる時、先生の乗られた機関車をいつまでも少年達が並んで追い掛ける場面は そのまま今も目前に映像が見えるようです。先生がお伝えくださったのは、何れもその場限りで終わらない 心の底からの信頼。本当の意味で ‘一緒にいる’、’寄り添う’ ということ。癩の人に ずっとひたすら寄り添ったイエス様の逸話。自分の都合で半端にすることなく 只々身体の悪い人と一緒にいたイエスキリストという人の 存在した事実。自分は、この世の学校教育と制度の中で 常に期限付きの関係で生きて来た過去を、先生の御言葉で改めて知りました。多くの人が、学校での関係は「卒業」で切断し 企業内で生きたら「定年」で切断し…。そんな本来の人間の生命の在り方とは全く違う、人間の頭で作った 制度を基にした区切りを 人々は当たり前のように重ね、自分も ‘真に生命豊かに生きる終わらない関係’ を未だ解っていないことに気付きました。唯一、いだきしん先生と高麗さんの存在、そして御二人が体現されることを知ることのできる巡りにある。この幸運あるのみです。本日、生き直しで先生の講座・存在論、死について に伺います。ありがとうございます。 岩村ゆかり