感謝
京都コンサート、高麗屋にてコーヒーをいただくと胸に違和感、潜んでいる思いと後に気づく。昔のエレベーターの各階にある黒い丸いボタンの体感を胸の真ん中に感じるが、コンサート前には感じなくなっていた。その黒いボタンの体感をコンサートにてわかる。自分なんかという、ヒガミなどの甘えであると。この甘えには、コンサートに向かおうと玄関の鍵をバッグに入れてながら階段を降りていて、一瞬バランスを崩し、口の開いたバッグを放り投げ、階段を転がるバッグを見ながら、私の身代わりと感じていた。バッグを手放しバランス取れたのだとは丸一日かかってわかる遅さではあるが、感謝しかない。それに加えて、以前その階段で誰が落ちると感じたこと思い出し、自分であったかと、わかる今朝。落ちるのは、甘えであったのかともわかる。コンサート中に心臓に違和感。小さく生きている痛みと気づく。受け止める今朝。
高麗屋にて、額入りの詩ひとつに見入る。いつもは眺めている感じなので、言葉に弱い私と考えていただけに驚き嬉しい。
ありがとうございます。