“感情のバターを乗せた会話”
9.11コンサートと、応用講座と存在論と死についてとで、わたしは救済された。16日は、8時間余パソコンに向かって、何かを書き、何かをまとめ、何かを伝えていた。そして、それからも仕事と読書と述志とに夢中になっていた。先生たちはパリへ行かれてしまって、改めてお礼を言うことを失してしまった気持ちだ。簡単に言ってしまえば、「ストレス」から解放され、前向きに生きていけてるということ。このことを授業や教室で生かしたいと思っている。「感情」をテーマにした、「言葉エクササイズ」を創れないかと考えている。
たまたま『U理論』のレジュメを作っていたら、「私には感情が必要だ。高揚したり落ち込んだりする感情が。それがあれば、何とか人生を切り抜けられる。感情は私の方向指示器であり、方位センサーだ。」という言葉に当たった。たまたま一昨夜の「おとなの国語塾」で、ある人の文章が全く著者の内面や感情が表わされていなかったのを読んで、あらためて感情表現の教育の必要を感じたのだった。また、ひきこもりだった女性は、いつもイライラしているので、「どうして?」と尋ねても、「いけませんか」と反発されて戸惑ってしまった。少しでも自分の気持ちを言い表わせたらいいのにと思った。さらに、「多動症」の9歳児の男の子の感情がどうなっているかも知りたいものだ。
“感情のバターを載せた会話”を実現するために頭を使おうと思う。