感動できる幸せ
桜カフェに来た親子にいだきコンサートのことをお知らせしているうちにお母さんは急に何か気づいたように自分自身で枠を作っていたとても胸が開いたと言い、聾唖の息子は自ら働いているところをたどたどしくも表現しだし、コーヒーがおいしかったとコンサートチラシを持って名残惜しく帰っていきました。さわやかさが残りました。自分の中で単なる会話でない交わす言葉以前の何かが通じ合っていくなぜか一期一会の感動が起こっていました。
その後の府中コンサートでした。
一部:一音一音が鏡のごとく透明で鏡の部屋に立って全方位丸見えで隠すものない気持ちよさを経験しました。全てが丸見えで所有がない一つにある何か。
2部:音に触れる一瞬の内面、円との接点のようにふれた瞬間、愛と言葉が生まれていました。
この一瞬から人間生命は始まったでしょうかと息をのむようにあっという間のコンサートでした。
アンコール:ずっとずっとアジアの女性史が癒されてきたと感動新たにしました。気になっていたマザーテレサの救済される女の館でみたインドの性の悲劇への懸念も解決する未来があるのですと判断しました。
ひとりひとりの女性の幸せが伝播すれば世界は変わる。男と女のある何か、すべてに一つに所有でないつながりが生まれていく新しき時をありがとうございます。この続きは明日につながるどりーむホールコンサートをよろしくお願いいたします。