KEIKO KOMA Webサロン


◆濡れ衣

 平成25年の4月、急に会長から君は懲戒解雇だと聞かされました。理由はその年の3月に副会長の家に手紙が投げ込まれ(内容詳細不明)たからとのことでした。その後、手紙の筆跡鑑定が行われたところ、私のものとの結果が出たが、私の父が逝去したため(お前がそんなことするわけないだろと言い残して亡くなった)、父の49日終了後に沙汰がいいわたされることとなった。49日前日には信号で停車中に後ろから車に追突された。なぜかすぐには沙汰がでず、それから調査委員会ができて調査がなされた。その折、私は手紙を書いてもいないし出してもいないと答えたが、では誰がやったのかときかれ、それを調査するのが貴方様がたのお役目でしょうと答えた。当時家族にも相当迷惑をかけ、小学生の娘には何も話していないのに、私の枕元に、会社(団体)辞めてどこで働いてもパパが元気で前向きにいれば大丈夫という内容の手紙と娘が自分で縫ったお守りをおいてくれたりしていた。妻は、闇を(一掃し)たたきつぶせといっていた。その時並行して、別の副会長が私を呼び出して言うには、自分が来年町長選挙に出る、この件を日本で3本指に入る弁護士に聞いたところ、会社が負けると聞かされ、自分は町長選に出るので汚れたくない、したがって、私に静かにしておいて欲しいと言ってきた。私もいだきしん先生にたくさんアドバイスをいただきました。弁護士などとも解決策を探ってまいりましたが、この場合、やっていなのに自分から動けば動くほど不利になるということで、なかなか積極的な動きができませんでした。また、弁護士は助けてくれるひとと勝手に思っておりましたが、ある行為について法はどう予定しているかということや、いざ争いのときに出ていただくひとという感じで、実はその前に、「いったい何が起きているのか」「自分はどうしたいのか」ということをきちんと整理しておかないといけないということを痛感し経験しました。結果、私は5年間関連会社に出向となりました。業務内容は元の会社の仕事を1人ですることになりました。せっかくなので、元の会社はもとより関連会社のサービスを洗い出し本質を整理したところ、相乗効果が見込める新しい拡販の手法があみ出され、いままでにない数字が出てきました。なぜか、1年で元の会社にもどされて、新しい拡販の手法は他の職員にカツアゲされてしまいました。その時、カツアゲした後任には、システムではなくその精神を先に学んでほしいと伝えましたが、聞く耳をもたず、数年するとその拡販の手法=打ち出の小槌は、振ることさえしなくなってしまいました。ちなみに、選挙の副会長はあれから1年も経たずに肺がんで亡くなり、手紙の副会長はチュウブにまかれて入院中、ご子息が膵臓がんでなくなり葬儀の時だけ病院から出て参列というような状況でしたが、その後すぐにご自身もお亡くなりになりました。ご子息の死後、ご子息から「父にあやまらせます」というメッセージを受けました。すると本当に、手紙の副会長は、自身の通夜・告別式の2時間前まで私の前で土下座しているのがみえましたが、私自身とてもしんどくて、告別式の日は会社を休んだのをおぼえております。
 令和5年3月3日金曜日夕方18時、急に専務理事(かつての上司でことあるごとに責任や尻ぬぐいを私によこしていた中心人物)に呼ばれ、予め提出していた過去の不明点22項目について返事をいただけるはこびとなった。私がひとつひとつ説明すると、専務理事は感情的になり優にパワハラを超える対応でしたが、こんな機会は滅多にないので不自然に感じることにつき淡々と説明をさせていただきました。翌日の3時30分頃に22項目すべてが説明しおわると、手紙の件も含めて、専務理事は、「信じるよ、悪かったなあ。」と一言謝罪した。その後、名誉回復や逸失利益の対応はありませんが、専務理事は7月から体調不良により3か月の休養に入りました。

◆片づけ

 今年の初夏、妻が以前から提案していた、私の実家の築50年の物置を片づけるということをはじめました。山のみかんや田んぼのお米や畑は、放置しておけば草むしりなどをしなければいけないところですが、幸いにもやってくださる方がいらっしゃり、主たる農機具はひきとっていただいてはおりましたが、細かい道具や生活品の使わないものについて、整理もせずにただおいていたもので、いよいよそれらを区別し捨てるということを始めました。週末は、妻が助けてくれて、捨てて捨てて捨てまくるということをおこないました。さすがマスクをしていても、50年間堆積したほこりやちりは尋常ではありませんでした。全て、水拭きもしました。いままでとは違うガレージになりつつあります。加えて、母屋や母の書道教室についても、捨てて捨てて捨てまくる、ということを行いました。
 そんな中感じたことは、そのうち使うことがなくなった場合、庭を中心とした母屋や物置や習字教室を他の事業者にお貸ししたり売却したりすることがあるかもしれないということでした。その時気になるのが、例えば、お正月は母が7か所にお供えをあげますが、①仏壇②お稲荷さん③井戸④床の間⑤神棚⑥神棚(かつては金箔がはってあった恵比寿と大黒の木像が格納されている)⑦火の神様(現在ガスコンロ周辺←昔は土間のかまど周辺)、です。①仏壇については、私の母の祖父も父も空海を継いでおり、祖父は東寺の館長・父は真言密教の第一人者で、特に母の父(宥雄阿闍梨)から私には、「21世紀は真言宗は通用しない」「葬式仏教はだめで寺本来の役割にもどらないとならない」とか、「宥雄が宥雄している」「半歩前へ」等、母に連れられて幼い私が行くとよく抹茶をいれてくれてお話をしてくれました。なので、我が家の菩提寺(宥雄阿闍梨の弟子/地元でも高額で有名な寺院)が父の法事の際に違う戒名のもので読経するということがあり、その後何の謝罪もないことから、母も激怒し、平成29年に墓じまいをするという流れとなりました。私は、自宅の面会所である仏壇の必要性がピンときません。②お稲荷さんについては、父の逝去後は私がお掃除などをしておりましたが、ある時、中にある木片をよくみたところ、正一位諏訪間稲荷とかかれていることにはびっくりしました。昔は庭の隅の大木の木陰のしょぼいところにあったのですが、きれいに新築し日当たりのいい庭の中央に移動しました。そのせいかわかりませんが、妹が20歳過ぎに精神的に厳しくなり狐のようなスタイルをしていたこともあり、あるかたから、今のところのお稲荷さんはからっぽだよ、だからもとあったところに戻しなさいといわれて、もとのしょぼいところに戻しました。養祖母が他界する時も、私に、お稲荷さんだけは気をつけるよういわれました。③井戸は、浅くあまりきれいなお水でもなかったので、あるときコンクリートでふたをしました。私が喘息になると、やはり、別のあるかたから井戸の指摘があったようで、すぐに、地面の位置から少し高めに囲いをつくり同じくふたはしましたが、ふたの上にはいきぬきの穴をあけました。また、モーターでくみ上げて、習字教室のトイレや習字道具を洗う水道として活用するようになりました。この他、④床の間⑤神棚⑥神棚⑦火の神様があります。貸し出しや売却もそうですが、これから私が死ぬまで、さらに、私の子ども達も私がされたように「はいどうぞ」といわれても困るのではないかと考えます。私がいるうちになんとか方向性を出したいと感じています。ましてや、感受性のいい妻は以前から私の実家はきついといいます。同じようなこととして、かつて、我が家でやめたみかん畑(ジャングルのようになっている)で、景観のよい場所にある山の石のほこらについて、いだきしん先生と面談をさせていただいた際は、よほどのちからのあるかたでないと、といわれました。父の逝去後、市の農政課の、貸します売りますにいろいろと登録に行ったところ、市の職員は、お宅の物件では50年経っても借り手はこないよ、といわれました。が、大手銀行の投資セクションの方がオリーブ栽培をやりたい(観光事業含)とのことで、ピンポイントで我が家にお越しになりお求めになる、というケースがありました。

◆違っていたのではないかと感じたこと

 今年の11月のコンサートでは、コンサート直前にすべて間違っていたのではないかという体感がありました。正解・不正解ということではなく、どうやら中心(本音)から微妙にずれたところから展開しているため、本意のところに届かないという感じです。そとにある(あるいはおこるであろう)ことを事前に凌駕するために今(今後)どうするか。会社もそうで、仮にそれをやってうまくいっても、そもそも上役がそうした状態をつくっているので、逆にひがみの対象にしかならないのではないか。お客様との接遇も、お客様の業みたいなものをあびてお客様の中心にあることから対話(会話)をしていくとお客様が懸命におしゃべりになりお客様が自分に気づいて(ご商人の場合は商売のヒント)お帰りになる感じなのですが、私は家に帰るとベタベタでたまらない状態だったりすること。子供のころ、市場でだぶつくと、みかんをトラックごと捨てたりお米を青田刈りしたことから、私が大人になったらなんとかデザインし直さなければと考えていたこと。物置や実家や習字教室の掃除、神仏の対応、これから多くなるであろう母の面倒等もそうで、それぞれは、それぞれをやる(対処する)ことなのであろうけれども、このまま同じようにしていると、一生尻ぬぐいのような人生でおわってしまう感じです。私は、学生時代から、優秀な上司のもとならお客さんもよくなり自分も磨かれ会社や社会もよくなるけれど、そうでない場合、このいのちを効果的に燃やすことができない。また、招き猫ならぬ招き人間のようにいるだけでよくなる状態がないものかと考えてきました。豊かで関係性がよい人生を味わいたいと思っています。自分の本音をちゃんとつかんでふたをしないでそこから生きる。かけがえのない自分を大切にする。そこからはじまるように感じました。

 コンサートにきてコーヒー飲んで自分をとりもどしてください、というお言葉がとてもありがたく感じます。

 ありがとうございます。

KEIKO KOMA Webサロン
東京高麗屋
KEIKO KOMA Webサロン
沖縄のこころ
KEIKO KOMA Webサロン
仙台高麗屋にて