愛
三鷹市公会堂での、いだきしん先生の「ジェンダーをめぐって」が開催される朝、自分が歩く振動でも胃も心臓も痛くなっていました。一席に座ることができて感謝よりありませんでした。お腹もすくこともなく、身体の痛みもわすれ、あっというまに終わっていました。自転車での帰り道、身はかるくて明るいお月さまにむかって飛んでいけそうでした。府中でのコンサートへ向かい、ほんとうのことがわかっていく場にいること、「いだき」がはじまり、新たな時が巡り、歴史的場面に居合わせていること、何にもかえがたいことでした。ほんとうのことが開けて、またさらに、ほんとうのことが開けて、空間が開いていく、空間の光に、身体なのか空間なのかわからないほどにひとつにいきられる人間であることをよみがえられてくださいます。全部がやさしくいられる、この上なくしあわせな光の音色でした。先生が表現される時がきて、今までの人間がつくった終わっていく世界全体を光に変えてくださいました。いのちの音 即興演奏により。。。世界は変わると、いのちではっきり経験しました。今も涙があふれてきます。朝目覚め、麗花さんの詩集の一頁をひろげました。「女は女に・・・なります それがお礼なのかもしれません 光あるうちに ひかりのなかを進むのです」それから高句麗伝説でおききした忘れえぬ詩の一節、長寿王様の詩「自分のものにしたい各々の思いによって歪められた歴史」誰かが誰かの所有になるなんてことはなくなった昨夜の音と、また涙あふれます。「いだき」はすごいです。私は、音と詩があれば、生きていける。音と詩があることを表現して、みんなでしあわせに生きていく道をつくります。世界中みんなの「いだき」。ありがとうございます。