愛はゴールがない、素晴らしいスタート
今、いだきしん先生の焙煎コーヒーをいただきながら閃いたことを書きはじめています。今回の先生の結工房での焙煎には同行できませんでしたが、結工房から取り寄せた先生焙煎コーヒーで毎日身体の芯への愛の浸透を受けながら考えます。昨日たまたまかつて仕事をしていた熊本の民放時代のことが思い出されました。今やオールドメディアと言われその存在の弊害が頻繁に指摘されるばかりの地上波のローカルテレビ局に在籍していた時代に いだきしん先生と高麗恵子さんに出会い、人生はガラリと変わりました。
振り返るとちょうど30年前の夏のある晩に上司の理不尽な業務命令の一言を聞き、瞬間に「辞める」と言葉が生まれ、りんごが木からポロリと落ちるようにそのままその夜に退職届を書きました。しかし、「辞める」という言葉が正確でなく「はじめる」だったとすぐに自分でわかりました。突然身体の奥深くから堰を切ったように生まれた本音の気持ちでした。すでに翌日から自宅の自室を事務所にして起業の準備をしていました。その転換の夜が来るまでは頭では「はじめる」というのは考えていましたが、「辞める」はそれほど具体的には考えてなかったのです。しかし、テレビ局の枠内で仕事をすることへの限界は自覚していました。いだきしん先生、高麗さんにご協力いただき、24時間テレビ”愛は地球を救う”「31時間連続ピアノ演奏in熊本城」をプロデュースさせていただいた数年後のことでした。
元々20代後半まで既存の会社生活の経験がなく20代半ば頃に大分県別府市の小さな温泉旅館の旦那の生き様に魅力を感じ、居候のような暮らしをしていました。いつしかその旦那が”髪結いの亭主”の如く一匹狼で好きなようにやっていた映像制作の仕事の手伝いなどをしているうちに数年経ち、そのまま酒の縁で熊本に開局することになった民放テレビ局に入ることになってしまった人生でした。正直な話が映像のことにも全く興味が持てなかった上にテレビ局なぞに入るのは嫌で嫌で堪らないないほど性(しょうに)に合って無かったのです。その当時は義理と人情の世界に縛られていました。が、それが結果的にはいだきしん先生、高麗恵子さんとの出会いに繋がる運命でした。
今でも当時を振り返ると”ぷーたろう”と呼称される境界人のような暮らしを29歳までやっていました。別府では給料というより何とか暮らしていける小遣いを毎月もらっていたようなものでした。兵庫県に生まれ、少しでも遠くて授業料の安い大学を探し、山口の大学に「入る前」、「入ってから」も余分な時間を使い、出た後のことも決めないままに出てしまったので”ぷーたろう”の道を行くしか無かったのです。そういう道を歩くことになった背景は「人はなぜ生まれ、どう生きるか」の問いが中学生の頃から胸の奥にあり、答えを求めて地元の高校を経て山口の大学に向かい、そのまま九州の大分県に流れ、熊本に停泊するという航路になったのでした。
少しうつらうつらと居眠りしていたところ未明に目が覚め、先生焙煎コーヒーをいただきながらタイトルだけ決まり、書きはじめたのですがどうも寄り道が長くなりました。新しい高麗屋で高麗さんを中心に語り合いに参加する中で結局、「自分がどうするか」ということと「自己の存在を表す」ことにテーマが絞られていき、この稿でも昔話をするつもりは全く無かったのですが、昨日たまたま車中でアンドロメダエチオピアコーヒースペシャルCD vol.35を聞き、出会ったメッセージの第2部「愛は基本か?」の最後に「愛はゴールがない、素晴らしいスタートです。」を見つけ、そこだけでなくその第1部の「慰霊」から続く先生のメッセージ全文に「遂に出会った!!」との気持ちが生まれ、書きはじめたのです。そしてあらためてそのコンサートの日付を見て納得しました。2023年3月11日、府中の森芸術劇場どりーむホールでした。
当時はこのコンサートメッセージの意味がよくわかってなかったことがわかります。そして今、このメッセージとコンサートが「今」、自己の存在の根幹に響くこととして理解します。愛をわかりたくて求めて来ましたが「ゴール」とは捉えてなかったですし、自己の中で愛は「はじまり」ではありました。盛岡市の「時空の歪み」、「宇宙とは愛による意味のネットワーク」。仙台の「鼓動」、「愛の鼓動」。そして三鷹の「スーパームーンの次の日」、「聡明」を経験させていただき身体の深奥に繋がったことが半月ほど経ってやっと表現になってきたと感じます。高麗屋で高麗さんの語りがあり、その後の語り合いで単発的に語っていたことが「愛による意味のネットワーク」のように自己の中に繋がって来ているのを感じます。そう!!まさにスーパームーンに声をかけられ振り向いたあの九州の夜の瞬間の状態です。そして「スーパームーンの次の日」を三鷹で迎えました。
随分前から いだきしん先生のピアノ演奏をメッセージにしていただくことがはじまり、お陰様で一回一回の先生のコンサートメッセージを頼りにコンサート経験が漸く自分のことばに成ってきています。その作業の時間差はあまりにも大きいですが、これからどんどん縮まっていく予感はあります。いだきしん先生が「世界を変える」驚くべき具体的プロセスの連続の渦中に自己の存在があり、同時進行していく身体、いのちの時事刻々の変化を事実、現実として理解していける「いだきの真髄」こそこの文章のタイトルにさせていただいた閃きだったこともこうして書いていってわかります。部分は全体の中にあり、全体は部分の中にある。ど真ん中で経験していると感じます。
「愛はゴールがない、素晴らしいスタートです」。尊いご教授をありがとうございます。
