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愛の輪


三鷹のコンサートをありがとうございました。「起きてますか!」と生存を確認されるような音を前に、光を差し込まれ、ノックされ、呼び覚まされると、無いものねだりをしている時間が勿体ないと強く感じます。その時間を夢や目的、目標のためにあてたい。許してくれますか?と、誰かに請うている。無いものねだりをし続けないといけないと思っている自分がいる。いのちの繋がりを嬉しく感じる。懐かしいあたたかさ。魂だ。

第二部のアナウンスをお聞きしながら、大変大変失礼ながら、『愛』とかそういうのいいからもっと技術とか、テクニックとか、スキルとか・・・全部おおよそ同じ意味の言葉ですが、そういうものをお願いできませんか、下さいと思っている愚かな自分の頭を自覚して、呆れると同時にこんなことではいけないと我に返り、罪悪感による額の脂汗を拭きながら頭も身体も極力空っぽにするようにして、音に集中しました。

心臓が「窮屈だ」「欠損している」と声を上げるので思わず胸を押さえてひたすら感じます。「我、欠損せり」。実際に欠けてはいないと思うけど、そのように感じているのは事実のよう。子供の頃大好きだったある白いタオルケットは、普通のタオルケットの何倍もキメが細かく柔らかで、シルクのように肌に馴染んだ。恥ずかしながら自分の中に『子供に戻りたい』気持ちがあると認める。大人になるためには・・・。

先生のピアノから発する音の金の輪は、よく見ると輪のところが花のような星のような、きらめきの材質で構成されていて、鎖の絨毯のように、それでありながら軽やかに、連なっては、波となり室内を時空を超える。

ふと『全体』を感じる瞬間。いままでの『部分』がそこだけ重くなるから当然、力が入って上手くいかなくなるよ、あたりまえだよ、と教えられ、いままで理屈ではわかっているつもりであったことの全貌が明るみに出るように良くわかる。

手拍子、アンコールでは最後まで手を抜かずにきっちり全体とピアノを調合させて下さる先生のお仕事の一流さに畏敬の念を抱かずにはおれないのでした。

優しく、元気に。

ありがとうございました。

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三鷹市公会堂光のホールにて-2
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