KEIKO KOMA Webサロン

愛の海原


コンサート前に先生に質問させていただく機会があり、頭が働くことがよりわかってきました。昨夜からずっと、昨日のメッセージ「「時の流れ」というわかった様なわからない様な巨大な観念を呪縛と言わずして何と言いましょう」をずっと考え続けました。先生のお言葉により合点がいき、頭が働くことを覚えました。先生は「時」は流れるものではないとおっしゃいました。私は「時」を目を閉じしらべた時に流れるものではないとは明らかに見えたのでした。確認させていただき、良かったです。昨日のコンサート中には「高句麗伝説」にて「時が流れ去り」という表現を使う時に見える光景を考えました。闇に埋められ、埋もれたままにはっきりと現ることのないままに曖昧に続く状態が見えるのです。いい加減であり曖昧なままに濁している状態と見えます。時は流れないとの一言をお聞きでき、この様に一つ一つを自分で考え、正確に理解していかないと、全ては「時の流れ」と同じ様な言い方を普通にしていく内には頭が働かない状態になっていくということがよくわかりました。この度の三鷹でのコンサートはひどい頭痛から始まりました。このままでは脳内出血が起こってしまうと心配になるほどでした。観念が壊れ、呪縛も解かれ、頭が働くという状態がわかりはじめました。そして今日も頭が解放されました。

第一部「幸福」

「人生の目的といえば幸福にまさるものはあるでしょうか。様々な目的はありますが。バートランド ラッセルによりますと不幸の第一の原因は自己自身へのこだわりであると云います。様々にある目的が自分自身へのこだわりから始まる目的は不幸になりうるということです。幸福は周囲との関わりのなかで実現します。内面的に周囲と一体化して外的環境を幸福へと実現していく営みです。ひたむきになれるかです。幸福はひたむきに生きることによって成立します。」

深く納得するメッセージに頷くばかりです。自分自身のこだわりから始まる目的は不幸の原因になりうるとは小気味良い程に明快で痛快なメッセージです。ある音から自分のこだわりを考える機会が何度かありました。が、今日も第一音から懐かしく、愛しい気持ちで涙滲みます。今日は「愛の海原」という言葉が生まれる光景が内面に広がっています。いつもは天と地が一つであり天のはるか彼方まで一つである内面がひらかれます。空間も無限な世界です。いつもとは全く違う海原が現れ、海が苦手な私は最初は戸惑いましたが、愛の海からの風が心地良く、先生の音が愛のエネルギーそのもので愛が注がれ続け、たくさんの働きかけが注がれ、聴けば聴くほどに内面が愛に満ちてくるのです。内面は愛と光に満ち、海と一体化し、愛の海となります。海の底に沈む魂、存在、生き物、今まで隠された力が一挙に現れ、蘇り、地球の生命が光輝き、地球の環境が新しい光に満ちていくのです。海は綺麗になり愛の海とすっかり変わりました。様々な生き物が生きていける海となっています。たくさんの生命が喜び輝いている光景が見えます。海が苦手であっても、先生のコンサートでは海の上にいる体感で、自由を感じます。ふと頭に浮かぶことが自分のこだわりなのかを考える機会がありましたが、すぐに消えていきます。全体とひとつである生命の心地良さに満たされます。愛の海原に立ち風を受ける体感は幸せで気持ちよいばかりでした。

第2部「豊穣の内面」

「何よりも内面が豊かなこと。緊急の課題といってもいいくらいの優先することです。運命において内的環境が外的環境を作るということなので、なかなか運命というのはわかりにくいことです。種々様々な命の交流、空間よりの絶え間ない働きかけなどにより豊かな内面が育まれ、いきいきとはたらきます。豊穣の内面。」

一部では愛が注がれ、たくさんの働きかけが注がれ、真に豊穣の内面となっていました。豊穣の内面が海まで通じていったのです。その経験がありましたので、メッセージは生命でわかり、幸せから始まった第2部です。背筋を伸ばし、背もたれに背をつけずに先生の音を聴かせていただくと、別世界、別次元となることを最近はずっと経験しています。まるで違う世界が立ち現れ、次元が違うことは体で感じます。それも明らかに違うのです。私には次元が変わる音まで聞こえてきます。先生の音は愛よりなく、光よりなく、生命の源に戻れた安堵、幸せに包まれます。この状態は何も考えることはなく、生命の内に心地よい風が吹き抜け、最高に幸せを感じます。今日も愛の風ばかりを感じる大好きな演奏が続き、愛に満ちる内面に感謝で一杯です。豊穣の内面という表現とはこの状態であることを経験します。一部でも経験しましたが海に生きる生き物と交流し合い、生命が変わっていく経験は喜びと希望よりありません。豊穣の海という言葉を心の中で繰り返し言っていました。

アンコールでは畏れ多い神々、大いなる存在がそのまま現る演奏に武者震いが起こります。人間であれば誰もが見える様にその現れをわかると畏れ入りながら、感覚的には少し引っ込む様な戸惑いがあり、何故かと考えました。同時に大いなる存在の表現を全身が震える程畏れ多く、感動に震えていても、なんと表現できるのでしょうかと考え続けました。自由でありダイナミックに感じる演奏をお聴きし、この様に生きていけるのなら、真っ当な人間になると考えるのです。縦横無尽に自由にどこの世界とも交わり、交わりながら愛が生まれ、愛が交流し、次から次へと新しい世界が創造されていくのです。それも猛スピードで展開していきます。心に残ってならずに、終了後に先生に「アンコールでの大いなる存在の表現は何を表現しているのでしょうか」と質問させていただきました。余計なものは払い除けるとのお言葉に深く合点がいきました。私は少し引っ込み気味になる感覚に音が鳴り響き、時には追い込まれていく様になることに自分の状態を正したのでした。これでは生きていけないと感じていたのです。余計なものを払い除けていただき、頭が働くようになったのです。ひとつひとつを正確に理解し、曖昧に濁さなくなっていました。「時の流れ」の呪縛によりおかしいことであるのに周りが普通に行なっていることは正そうとせずに飲み込み、曖昧なままに放っておく状態の異常さに気づき、ひとつひとつをきちんと理解していくことの楽しいことを経験し始めました。頭が働いてくると楽しいことを知りました。

帰り際に先生との会話の中で、先生は「豊穣の内面」とあえて使ったとのお話をしてくださいました。三島由紀夫さんの「豊穣の海」のことをお話くださいました。多くは豊穣なるとか豊穣なと表現しますがあえて豊穣のと表現することで豊穣であることがより強くなると教えていただき、たった1文字で意味もより深まり、表現したいことがより表現できることに感動しました。いつもコンサートで魂揺さぶられてならずに感極まり、涙するこの経験を、すごいとしか言えないことはもどかしく、この深い感動、至福の喜びをどのように表現するかと考え続けています。たった一字でより強くより深いことを表していけるとは素晴らしいことと感動しました。今日もひとつひとつを理解していくことが生きる力となり頭が働くようになっていくことが嬉しくありがたいです。今日はずっと海が見え、海を感じていましたので、心の中で「豊穣の海」と言葉にしていたので、私は最後のこの表現をお聞きでき、喜び生まれました。内面は海の生き物と交流し、今まで埋められ、隠されてきたものと交流し、豊かで愛に満ち、光り輝いていました。真に「豊穣の内面」でした。ありがとうございます。

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