意識改革
コロナ禍の拡大が止まらず、連日大騒ぎだが、少しは先のことも考慮して行動しないといけないように思う。あまりにも「いま」の不安や心配に振り回されて、理性を失い、感情に走っていてはいけないのだ。自分は大丈夫、コロナなんかに負けないと強く思うことがどれほど危険なことか。また、ただ頭抱えて恐怖におののいていても仕方ないことなのだ。ここはどうしても意識改革が必要だと、新聞でも識者が言っている。オンライン研修が感情的にきらいな年配者の一人であるわたしはまずそれを自分に言い聞かせねばならない。先日の盛岡での応用講座のライブ配信で分かったのだから。実は、わたしは7日に77歳の誕生日を迎える。だから、第3回の応用講座の配信を7日に聴取することを決めている。自分へのプレゼントとして。
それでも、イタリヤやスペインの大過はどうやら峠を越し多様にも見える。中国のことはあまりわからないが、いずれにせよことは経過していくのである。「時間」を考慮しないで、いまの「言葉」に翻弄されるのは、サルと同じだ。「朝三暮四」のことわざのように、結局はごまかされているのに気づかない。『存在と時間』のタイトルの意味が少しわかったようにも思う。