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情ということからの解放


昨日の夜はともに暮らす家族の激しい咳き込みで一睡もできずに朝がきてしまいました。気管支炎との診断で、薬を飲み、治すことが今は最善のときです。そのせいもあり、起きた時は寝不足この上なく、朦朧としてはいましたが、朝の仕事を済ませているうちに体の状態がだんだんとわかってきました。三鷹での存在論からはじまり、狛江、三鷹と続いた高句麗伝説のときには体の代謝の悪さを感じ、とくに腎臓の働きの弱さを自覚していましたが、一睡もしなかった今日になり、朝方までは眠れないストレスで滞っていた体でしたが、やるべきことをやるうちに代謝が上がっていて、お腹はさらなる変化がはじまってもいるようです。連夜の高句麗伝説と存在論を経て、今日になり気がついたことがあります。最もわかりたいことが最もわからないということでした。自分の気持ちをわからないようにある頭が、ジェンダーのことや、好きということさえ曖昧にぼかし、感覚のなかにいつもいることでしか自分をわからず、いちばんわかりたい自分の気持ちをわかるようになっていないことでした。遠くから自分を観察しているように見、嫌いか好きか、ただそれだけのことなのに、意識的な頭がはたらき、そこに大義のように介入してくる罪悪感などが混じりこみ、観念のようにはたらく情と結びついていました。感覚からわかることでもいいのです。情けというものに取り憑かれるよりは。大きなため息をつきながら、なぁんだ、そうなのかと、今、肩からよけいな力が抜けていくようです。難しいことなどないのでした。本当に、なぁんだ、そうなのかというほどです。

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