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恋の予感


第一部 「光源氏の愛」

源姓の中でも一人キラキラと輝く光る君。聡明かつ有能で役職を全うし、一度もミスを犯しているという記述はありません。数多くの女性達の中にあって一度でもミスなどしたら一瞬にして光は消えます。現代語でいうプレイボーイなどとは無縁です。様々な女性に対していだく情熱的な愛の源泉はどこから生じるのでしょうか。美しい女性や優れた才能をもった女性に対して深い愛情を抱きます。
美しさや美徳に心打たれます。
「光源氏の愛」を通してわかる愛の様相は多様でありながら一度も愛から外れていません。愛から外れるどころか美しくも時に身を切られるほどの悲しみもあります。


第二部「聖なる」

よく俗にまみれてといいますが、俗にまみれるような「聖」はありません。
俗などにまみれることのない神聖ないのちそのもののはたらきがあります。
神聖ないのちにはたらきかける「聖なるいのちのちから」が存在します。
このような時、我々は言葉に尽くせぬほどの予感に満たされます。
お一人お一人、どのような予感に満ちていらっしゃるのでしょう。

先生のコンサートを経験しなければ生涯決してわかることがなかった愛、聖、を深くわかりました。感動のコンサートに今も心はキラキラと輝き、美しい香りがしています。心臓が痛く迎えたコンサートでした。「光源氏の愛」というロマンチックなメッセージに心がときめきます。ときめきは生まれても諦めていることを心臓の痛みが教えていました。メッセージの意味は深く、ひとつの映画を見ているように、メッセージから見える光景がとても美しく、ロマンの香りがしました。「情熱的な愛の源泉はどこから生じるのでしょうか」をわかりたい気持ちが生まれました。また、「身を切られるほどの悲しみ」もわかりたい気持ちでした。パイプオルガンの音色はピアノのようであり、ピアノの音色はパイプオルガンのようであり、演奏からあらわる世界はロマンに満ちていました。愛の源泉は「聖なるいのちのちから」と見え、感じました。おおいなる存在と一体である生命は愛に満ちています。2部のメッセージが「聖」でしたが、聖なるいのちであれば、真に人を愛していけるとわかりました。2部の演奏を通しても、聖なるいのちは悲しみをわかる生命とわかりました。感動に震えました。「神聖ないのちにはたらきかける「聖なるいのちのちから」が存在します。このような時、我々は言葉に尽くせぬほどの予感に満たされます。」2部の美しくロマンあふれる演奏から見える図形を言葉にするばなら、「恋の予感」です。喜び、心ときめきました。この言葉は、先生が書かれた言葉です。仙台高麗屋に展示させていただいています、写真詩書に書かれていました。見た瞬間、私は「恋の予感」という言葉が魂に飛び込んできました。これよりなし、と的にはまった図形が見えたのです。昨日のアントレプレヌールサロンにて人のお役に立てる商品をつくり、コピーを作るとお聞きした時、これよりなし、と一人で心の中で狂喜したのです。恋の予感が生まれれば、魂に目覚め、愛に目覚め、人間であることに目覚め、真理に目覚めます。国創り活動に最も必要なコピーと的にはまることがうれしくて笑いが止まりませんでした。今日は先生の演奏から言葉通りを経験しました。聖なるいのちのちからがはたらき、聖なる生命となり、恋の予感が生まれ、真に人を愛することができるのです。人類救済と見え、未来は希望と狂喜しました。先生が書かれた言葉ですので、勝手に使うことはどうぞ控えてください。私は何年もかかりやっとみつけた生命の言葉を他の人が書き込みのタイトルに使っている時、心の中でどろぼうと叫びました。耐えがたい時は抗議したこともあります。良い言葉だったからと簡単に使っていることにはやりきれない気持ちになります。今日も先生の表現をここに書かせていただき、恐縮に感じながら、私の生命が経験し、同時に見えた図形を言葉にすると「恋の予感」だったので、書かせていただきました。ラスト近くでは、イエスキリストの存在があらわれ、麗しい香りが漂いました。そして東明王様も好太王様の存在もあらわれ、心がときめく存在にお会いでき、まことに恋の予感が生まれます。悲しみをわかる人間は愛が生まれると教えていただきました。悲しみも愛もど真ん中で真正面に受け止めることの恐怖がありました。聖なるいのちであるので愛がわかり、愛することができるのです。このことを教えていただき、感動と感謝でいっぱいです。先生のコンサートでなければ経験できないことです。言葉によって教えていただき、わかることではありません。コンサートで経験させていただいたので、生命をもってわかることができました。経験しなければ生涯わからずに生命終えたのです。多くの人々は真の愛を経験せずに人生を終えることに悲しみを感じます。聖なるいのちで生きていくことが生きる意味がわかる人生を生きていくこたえです。先生の表現は「聖なるいのちのちから」がたくさん注がれていることを生命で経験します。この場に身を置かせていただく経験は「聖なるいのち」となっていくのです。なんてありがたく、人生はなんとロマンに満ちていることでしょう。感動、感動です。やはり人間が生まれてきた意味をわかり幸せに生きていくにも、良い世界を作るにも、先生のコンサートに身を運んでいただくよりありません。動員活動に邁進します。かけがいのない経験をありがとうございます。

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