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性起のとき


最近はそろそろ身体が大きな変化を起こしそうな予感がありますが、存在論にて先生から身体の状態をご指摘いただき、早速改善を図っています。今やれることは いだきしん先生が教えてくださることを100%やることよりありません。先生と繋がりながらも先生に依存せず、自分でやるべきことは「自分でやる」ことの難しさは常に感じ、考えてきましたが「今、この時」を迎えて同時に向かえる身体を創るよりありません。長い長い修行中に物事を「対象化」したり「自分なり」にやっていても、先生の言われたように確実に活性化する生命になっていることは間違いありません。仕事にも暮らしにも全てに反映しています。愛を山ほど経験はしていますが、愛の状態には程遠いと認識していることも勘違いではないか?常に自分自身の根底にある課題を抱えての存在論への参加でした。

かつて先生、高麗さんに仲間数人で同行し、シナイ山に行った時の身体の絶好調状態は「シナイ山の神に出会ったから」という自分の仮説は、ある講座の質問で先生からも同じような答えをいただき自分では「解決すべき大きな課題」になっていました。あの時、先生の状態が良くなかったのを目の当たりに感じていました。我々が難なく上がっていた岩の上にどうしても上がれなかった時の前後、先生がシナイ山に感じたある存在から聞こえた声のお話から推察するとその神は良い神には感じられませんでした。一方でシナイ山を降りる時間帯に素晴らしい夕陽になり、先生と撮影に集中しましたが、その時に仲間が持ってるはずの交換用カメラバッテリーは現地のポーターに預けた由、ところがそのポーターは遥か山の裾野に先に降りていました。夕日は一瞬のことで色が変わるのは熟知していたので500メートルぐらいの坂道を猛スピードで走り降り、バッテリーを受け取って逆の上り坂を走り登る時にカンガルーがぴょんぴょん飛び上がっていくように宙を舞って行くように走っていました。山の斜面を飛んでるように感じました。と、ここまで書きながら私はあの経験があったことの意味をあまり考えてこなかったことに気づきました。「良からぬと感じた神」の存在を超える先生の愛のフィールドに何日間もご一緒し、とても大事な瞬間に自らの「直観と身体」がすでに常識を超えた力を発揮し、先生が必要とされることを自然とやり遂げていたのです。

と、気づいてくると熊本県内で次々と共に実行していただいた弊立神宮、阿蘇久住高原、熊本城31時間連続演奏、菊池渓谷、椎原村の山中、人吉球磨地域案内、天草の海でのイルカたち、熊本市内でのコンサート、高句麗伝説・・、と全ての経験に詰まった山ほどの愛の経験は頭と身体が二部されていた状態によって正確に捉えられてなかったことに気づきます。白頭山、五女山、丸都山城でも先生用の大きなカメラと三脚、いざという時に必要な荷物を全て身につけても身は軽かったのです。いつからかすっかり自分の存在を疎外することになっていました。頭です。意識です。被りというのは私には分かりません。いだき講座受講時に高麗さんから表現していただいた頭と身体を分断する横ざしに刺さったようなものはいつの間にか頭と身体を縦軸に繋ぐ柔らかいあるものに変わりつつあります。

昨日の存在論で高麗さんの質問と先生との対話でこのようなことが一瞬に閃き、有無もなく質問、対話させていただきました。さらに今朝早く目覚め、書き出したらこのようなことになりました。応用コースでお聞きした先生の共同社会、共同体(コミュニティ)のお話は、先生から学んだこと、「人は一人一人全然違う存在で自分よりわからないことがあり、それは自分よりやれない」ということが真に自分自身でわかったある時からずっとやり続けてきたことに繋がると感じます。そしてそれは今もやってることで、どうしても先生にご相談するよりもう先のステージにはいかないものになりました。

いだきしん先生がかつて通ったヨガ道場の先生に本音をぶちまけてそのヨガの先生と酒を呑むことになったこと、その先は残念なことになられたことを昨日お聞きしましたが、その時の酒はきっと美味しい酒だったでしょうし、そういう酒をかつて熊本城の31時間連続演奏後に先生といただいた経験も甦ります。が、あの時は不覚にもその場で眠ってしまったのです。生き直しはその時からはじまりました。

存在論、応用コースの全ての瞬間瞬間が真っ当に生きるために応用するヒントに溢れていました。いつも尊い経験の場をありがとうございます。本日のコンサートもよろしくお願い致します。

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