怒涛の流れ
京都での日々は強制的に内省する時間となりました。怒涛の日々でありながら、ただ静かに時を過ごす、鳥が集まりこの日常が平和であると喧騒の中から生まれる新しい何かがありました。
ロームシアターはいつもそのような大きく変わる時であることが多く、やはり今回もそのような時でありました。要をはっきりさせること、改めてどうやるかではなくて、どう在るか、マーブリングを着て歩くことで世界を変えるという言葉の意味がわかりました。
アントレに向かう中で、改めて参加出来ることは当たり前ではなかったと。惰性ではなく日々生まれ変わるように生きること、こんなに限界の中にあって限界であるからこそ見えたことに大切な何かを見出します。遅くなりましたが京都での貴重な経験をありがとうございました。