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心と脳


「生まれつきの運の悪さなどは最大の隙です。ぐずぐずしないで、生まれつきの運命くらいは、さっさと解決することです。」

「心」の在り方、「脳」の働き。自分の傾向でものを見ていく癖。高麗さんが、飢餓の子供達を想ってご自分もお食事をされなくなったお話は、僭越ながら自身に顧みると、クラスの荒れた子供達を想って同じように荒れようと決めた時に重なります。当然、高麗さんがその時期に飢餓の子供達と同じようにお食事をとらずにお亡くなりになっては、みんなが悲しみますし子供達も救われず、その後の希望も世界の平和も成りません。同じように手前の方でも、不幸なクラスメイトがたくさんいるので自分だけが幸せにはなれない、と不幸な状態をど根性で貫いても、何ら不幸な人たちを幸せにすることはできないことは頭ではわかっていました。高麗さんの場合はお母様にお声をかけられて止めたそうでしたが、手前では「幸せになっても良いという許可」がどうも自分から降りず、その理由を探していたのです。(ここでいう「クラスメイトの不幸」は具体的には貧困や乱暴な素行をすること、されること、などでしたが、世間の狭い私のこと。今思えばその中には、彼ら彼女らなりの全く未知の幸福もあったことでしょうけど、本題でないために割愛します。)

今日気付きがあったのですがこれは、自分の場合は、単純に自己と他者の健全な心の境界線を保つことを知らないため起きて今日まで魂を含めた自分全体を縛り付け苦しめてきたのだと、見たことのない角度からわかってきました。人間関係で課題となる「心の健全な境界線」、何をするときにも頭をもたげる「みんなが不幸だから自分も不幸でいないといけない(幸せな人もいることは、自分の傾向でものを見ているために見えてこないことも付け加えておきます)という信念」、これらの、パーツパーツが、まさか繋がっているとは思わなかった。それだけ本音が大事だからこそ、常々「理念」「自分がどうしたいか」を書き出したり確認するようにご指導頂いてきたんだと、、、自己と他者、このそれぞれが一つでありながらも混濁せぬように、いだきしん先生はすべてわかっていても、理論的な言葉の大切さと自主性を重んじて下さっている。健全な距離感や課題の分離などは、目に見えない世界とも当然繋がっているのでしょう。心の境界線を持たない人をネットスラングで「メンヘラ」といいますが、軽度であってもこの社会ではその傾向の人は(軽い意味では自分も含めて)当然のように多い。いだきで生まれつきの運命を解消していただき、その後も愛を沢山浴び幸せの花束を夢のように沢山受け取っても、きちんと注視していなければ、自分などすぐに吹き飛んでしまう。まさに「武術でいうところの鍛錬や修練を怠らないこと」。

まったく予想もしなかったところからの気付きは爽快です。年齢とともに向上し、生涯に悔いの残らない生き方を。先生のメッセージが今後を生きる力となっていきます。

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