心を整える
正月の昂揚が終わって、昨日から虚無感に襲われて難儀しています。生計の不安が基調にあるようですが、本を読んでも、自分の愚かさばかりが浮き彫りになり、人と会うこともないので、そぞろ孤独も味わっています。そして、知人や筆者の批判ばかりが先にたって、余計、わが身の体たらくが空しくなるのです。みんな「自分なりに考えて」と勝手なことを言い、「わたしはこう思う。」と独善を振り回しているだけではないか。一体、人はそんな高等な生き物ではないのであって、衣食住と生殖以外みんなどうでもいいのではないか。金を稼いで贅沢をして、それでも満たされた顔をしていないし、金がなくて犯罪に近いことまでして、それでも飽き足らない顔をしているではないか。文化の高さを敷衍しても、古典の価値を著述しても、はたまた歴史の深淵をかたってみても、だからどうだというのか。ああ空しい。生きる意味が見つからない。まだ死にたくもないが……。
どうして、こんなに落ち込むのか、自分でも不思議なくらい。西行は、「心を知るは心なりけり」と言ったそうですが、言語化するのが一番わかりやすい「心」の理解ではないでしょうか。そう思って、今日は早めに「修養ノート」を書くことにしました。すると、あら、不思議! 落ち着きを取り戻すことができました。なに道は間違ってはいないのです。だから、食べ、寝て、会い、語っていけばいいのでしょう!真っ当な感覚を見失わないように気を付けて、今できることをやっていけばいいのだと。 高麗先生の書き込みではありませんが、一陣の春風が心に吹きました。あの茶碗で、コーヒーを飲みたい!ありがとうございます。