心より感謝申し上げます
いだきしん先生、高麗恵子様
大変お世話になり、ありがとうございます。
10月10日に父が亡くなってから慌ただしい毎日でしたが、少し心も体も落ち着きました。
入退院を繰り返しながらも、父はまだまだ元気に生きると疑いもせず、退院後の事も医師と相談してましたので、全く予期せぬ突然の死の訪れで、なかなか受け入れることができませんでした。
23年ぶりの脳梗塞の再発で死を迎えるとは予想だにしませんでした。父も友人との電話で「もう2年は生かせてもらえそうや」と語っていましたので、父本人も自分が死ぬとは感じていなかったと感じます。父の意識がなくなってから、耳は聞こえてるからと看護師さんに言われ、感謝の気持ちを伝えた時に、父の目から涙が出たのが今でも鮮明に心にあります。亡くなる前々日8日の夜に府中のコンサートをLIVEで父と共に拝聴できたことがありがたかったです。
突然の死でしたので、きっと父も言いたかったこと、言い残したかったことがたくさんあったと感じます。
しかし父が今まで見たこともない穏やかな顔で亡くなったことが何よりの応えかと心より感謝申し上げます。
いだきしん先生の『死について』のご講義で「どう死ぬかは、どう生きるか」と
「いつ死んでもいいように生きる」とお伺いしていたお言葉が常に心にあり、悔いが残らないように日々生きて来ましたが、自分だけでなく、人に対しても悔いが残らないように日々生きるということを、この度の父の死をもって学びました。父に対してこうすれば良かった、ああすれば良かったと後悔ばかりが残ります。今考えますと年老いた父だということを考えずに、対等にしていたことを今更ながら深く反省します。
平成29年に癌の手術は成功したのに、その後5回の腰椎圧迫骨折により車椅子生活になってからは、父も自由がなくなり、辛かったのだと感じます。しかしながら晩年は父の人生の一部であって、それまでの父の人生全体を捉え、どうであったのかと考えることを先生のお言葉から気付かせて頂きました。
いつまでも私が悲しんでいると母も同じように悲しみの中にいるので、後悔の思いは断ち切って、今、今を生きるよう頑張ります。
そして「魂は永遠」と言葉では理解できているのですが、身をもって解るよう精進します。
明日の京都の応用コースは、母は京都まで行く元気がないと申しておりますので、私一人心より参加させて頂きます。
どうぞ宜しくお願い申し上げます。
ありがとうございます。
鈴木聡美