待ちに待った講座の前に
やっとこの日まで漕ぎ着けた!今日からまた「再生」の力を身に着けることができると思うと、何かワクワクする。「当て外れ」や思慮不足や失策など、いろいろあって、生きにくさを実感していたが、読書と散歩と表現実践で頑張ってこれた。そして、一番大きな「いだき」の存在。「宗教的依存」でもなく、「治療法伝授」でもなく、自立と自主と自由のための指針として、大切にしていきたいもの。そして、年令や金銭や病気を乗り越えるためにも!
「応用講座」の前に、以下のことを言いたくて、ウズウズするので書きます。近況までに読み捨ててください。(気持ちを整理してから京都に行くつもりで。)
近々あった良かったことをメモする「モチーフ・メモ」を考案し、自分にも時々課している。
◎1「賢者は、自分がつねに愚者になり果てる寸前であることを肝に銘じている」(オルテガの言葉)を知ったこと。
――鷲田清一『濃霧の中の方向感覚』を読んでいて/いつも自省し、謙虚でありたい。賢くいきたい。
◎2「先生、黒染めしたん?めっちゃ、似合ってるよ。」「いや、おれは前の赤茶髪の方が好きやで。」(ある高校三年生のクラスで)
――老醜をさらけ出して生きていくのは嫌だ。
◎3「文層が読めるようになり、国語の授業が分かるようになりました!」(定時制の工業高校に通う高一男子)と塾生がつぶやいたこと。
――なぜ「国語塾」の通うのか、自分でも不思議だったが、ほんとうに“目に一丁字もない”かれと息長く付き合ってのこと。
レッスンでは、これらの「事実」を「表現」に自分なりに改めていく。たとえば、1「愚かな自分を嘆かないで、耐えて向上心を保つのだ!」2「先生い
くつ?訊かれる楽しさ!」3「言葉は力だと実感した。」……(10/12)