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弘前、盛岡高句麗伝説


この度の東北高句麗伝説のための移動はすべて、バスでした。車窓から見える田園風景や中に存在する家々を眺めていると自然と涙が出てきていました。弘前ではよさこいまつりに出くわし、負けん気な声を出し、
皆で祭り盛り上げる声に、青森のじょっぱりを感じ、どこかやりきれない気持ちにもなりました。
ねぷたの絵を描く画師にも偶然出会い、三国志をもとにしていることなど、その起原をしると高句麗は隠されていることをますます感じ、やりきれなさに襲われました。

 仙台でCDを買って下さった旅館の女将さんも、弘前で本音の本を買って下さったお店の方も、本当は、こういう見えない話が大好きなのよねぇ、と仰っていました。情報を知らせば、みんな目を輝やかせ毎日の考え方もあり方も変わっていくのではと感じます。表現控えめな聞き取りにくい弘前弁の女性の話をお聞きしながら感じたことは、男の人のつくった体制の中に、女性の本姓を押し込めることは到底できない、と。

高句麗伝説が、世の中にどれだけ大切で必要なはたらきをしてくださっているか、私は伝えます。
私は命を助けられた。滅ぶ運命にある未来に手を打っていただき、運命を変えていただいた。
みんな、生命の内に受け継がれた歴史が先のない人生をまた繰り返す人生を作っていくことがわかってきますと、受け継がれた内面によって、出会う人との関係により、闇に入り込まれ、生きる場を失い、偶発的に事件に巻き込まれたり、事故を起こしたり、災害にあったりすることが、可愛そうでたまらなくなります。
今回、父のクラリネットの音と詠まれる詩により、高句麗の精神をともにされた親子の光景が見えるように感じられ、胸を揺さぶられるように涙しました私は、弘前高句麗伝説で分かったことがあります。
それは、高麗さんがどんどん真を表すよう変わられていくことが、世界の平和に通ずる道だということです。天の人のために、自分は何がやれるだろうか、と。それだけに絞られてきます。世界を変えられる方がここにおられる。
そのことが、真、であるということです。
一人ひとり違うと感じますが、この度のコンサート前に差し込むように入るメールは、邪魔をしてきている、もしくは、試されている、と感じたのです。
空間がきれいだと色々とわかってくることが救いです。そして、あること決めて望んだこの度の盛岡高句麗伝説では、ものすごく落ち着いた気持ちで参加していました。演奏も映像も詠まれる詩もそこだけひとつにクローズアップされ内面に挿し込む一筋の光のように、身ひとつにいました。盛岡から沖縄に、世界に伝搬していく盛岡での新しい愛のエネルギーは、舞台全てを通して、私に、最後に教えてくれたことがあります。
人類は変わらなければ行けない時に来ており、
この3日連続の開催による経験、活かすことで、人類の未来をつくると感じます。
ただ純粋な気持ちを活かし、先を創るよりない、と感じます。
この場に参加させていただけたことに、すべてに、感謝します。
新しい生き方をしていく新しい生命をいただきまして、まことにありがとうございます。

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