常識の罠
狛江の応用コースをありがとうございました。
同日に朝から前に勤めていた治療院でセミナーがあり、お手伝い方々参加させて頂きました。そこで考えさせられる問いかけがありました。
もし自分が正しいと思っていることが、周りのすべてから否定されたら、人はどれだけ自分が正しいと信じられるか。またどれだけの人数がそれが可能だと思うか。
というものでした。
ほぼゼロに近い数字でしょうと即座に思いました。
と同時にイエスキリストのことが浮かびました。
あまり詳しく史実はわからないけれど、もし誰かの裏切りにあったとしても、周りにイエスキリストのことが理解できる人がいたなら、処刑されるようなことにはならなかったのではないかと感じました。真実がよくわからなかったからこそ、裏切りの言葉にそそのかされて動いてしまった民衆もある意味では罪だと思えてなりませんでした。
また、地動説を最初に唱えた人も最初はほぼきちがいに思われたに違いないと感じ、常識という罠の深さを思いました。
先日のヤマハのコンサートの第一部のメッセージの”みんなで渡ること”が常識と繋がり、その危険性とコンサートの体感を先生から言葉で頂けたようで、すっきりと整理がされました。自分が何を感じているか、それを貫くことの中からしか真実に出会えないのではないかと感じた応用コースでの経験でした。
世界中の人と共感すると聞いて心が沸き立ちました。
そんな体感が出来たら素晴らしい!となんとなく幸せになりました。
危機の時代にあっても心豊かになる応用コースでのお話、ありがとうございました。