巨大歴史空間が「自分ごと」になる奇跡の時
仙台高麗屋にて開催された高麗さんの講演会に参加させていただき、一昨日からの いだきしん先生の一連の講座、講演会にて明確になった「人類の大転換の時」にあり、そのことを自らの身体で痛みとしてそのまま受けておられる高麗さんの状態が痛いようにわかる経験をしました。と言っても実際に私自身の身体に痛みがあるわけではなく、表現が難しいのですが、ただただ高麗さんのお話はしっかりと我が身に伝わってきました。
先月の東北センターの講座の折に高麗さんからお聞きしていた先生の「愛は地球を救う14」31時間連続演奏in熊本城から始まって、久住高原、菊池水源、アスペクタ、湾岸戦争時の小国ドーム、八代の女性花火師との共演、「弥生の生」吉野ヶ里、縄文の亀ヶ岡、シナイ山に至るまで先生と高麗さん、当時の仲間たちと企画・運営し、撮影、編集までをさせていただいた一連の活動の映像がまさに「今に生きる過去」として蘇りました。「今に生きる」と言える「今」であることに心より感謝致します。
昨日の「死について」の終了後にすぐ後ろに立っておられた先生からボソッと言われたお言葉は勝手ながら叱咤激励と受け取らせていただき、違和するこの世に生まれられた赤子の時から今まで、休むことなく戰い続けて来られた先生の偉業への感謝の気持ちが自然と湧きます。「大いなる覚悟」の宣言と拝聴させていただいた本日の高麗さんの講演会とビデオ講演会で、いよいよ自分自身の「天生」を理解する時が来たと感じます。光は光に受け入れられ、新たな光となる時を迎えて「光流」というシナイ山のCDタイトルが自分が求めてきた人生のテーマとして溶け合う体感がありました。
安易には言葉にできない程の「人類史」という巨大な歴史空間がごくふつうの私たちの「自分ごと」として感じられる大変な時代にあることに日々畏れ多い気持ちが生まれます。明日26日のコンサートがどれほどの要の要にあるか痛いほどに感じる今です。いつも尊い経験の場をありがとうございます。