峠を越えて
六甲山系杣谷峠を越えてみたかったので、昨日5時間半の山旅をする。
「峠」は国字で、「とうげ」は「手向け」で、道中の安全を願って峠の神に幣などを差し上げたことが原義である。 祈りとともに暮らした日本人の基礎の言葉であり、いつも峠を越えて暮らしてきた先祖の思いが伝わる。
それにしても、「野麦峠」も「狩勝峠」も、何か思いを振り切って、世の中や社会に貢献した人々の思いが籠っている地名だ。 明治の生糸産業を支えた女工たちの郷愁と哀愁を伝え、愛と信仰のために犠牲になった若い男性の精神を象徴している。
六甲山系の杣谷峠は、実は、幕末に外人との接触を避けるべく、徳川家が命じて開拓した回り道だった。 神戸港を通らず、背山の森の中を経て、須磨へ街道として企画されたが、明治維新を迎え、開国になり、結局は使用されなかった由。 皮肉にも明治になって、神戸在住の外国人の散歩道になり、若者たちの登山路となったとか。
阪急六甲から長峰と摩耶の間の谷を詰める、かなり急坂な道である。 まだ夏の暑さがあったが、空は秋空、路傍の青い花やドングリの実が、夏を越えた思いにさせる。 とにかく、毎日、出直し、「峠」を越えて、つぎの人生を始めればいいのだ、ということが歩度に合わせて定着する。 杣谷峠の向こうに穂高湖という小さな池があり、そこから生田川源流沿いの「シェール道」を歩く。 森と清流のなだらかな道で、歩くだけで心が弾む気がする。 何でも芦屋在住のシェール氏が愛した道だったらしく、外人の先見の明に感心する。 そこからまた尾根を越えて、炭が谷を下り、谷上に下りれば、飛躍の10月になりそうな気がした。