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山の神に頼まず


JRの駅から陽光の住宅街を山の方へ上っていくと、軽快な足音が後ろから迫ってくる。しかし、それは川向こうのテニスコートからのボールの音であった。それでフウッと心が軽くなる。体内の生きる力が解放されていく感覚。思い切って出かけてよかったと思う。心の中で、二人の自分が会話している。

「のんきに山歩きしている場合じゃないだろう。」

「そんなこと言ったって、じっと悩んでいても仕方ないじゃないか。」

「いや、金の工面をまずは優先させるべきだろう。」

「でも、“金”にとらわれ過ぎているのもいかがなものか。」

「甘い金銭感覚だなあ。人を当てにばかりして、情けない奴だ。」

「だからこそ、自分の本来の力を信じたいのだよ。」

魚屋(ととや)道の尾根をゆっくり登っていくと、視界が開け、大阪湾が一望。向かいの荒地山もグッと迫ってくる。良い天気でもう汗ばむほど。この先にある「山の神」(深江の大日神社の分社とか)にお参りして、良運を授かりたいという下心が、実はあった。学生時代には小さな社もあったのだが、今は知る人が知る石の祠だけになっている。ここに参れば、気持ちは落ち着くし、願いがかなうような気がして、何度も来ていた。今日も、山の神にお願いして、このひっ迫から解放されたかった。

しかし、まだ冬枯れの茶色い山路だけれど、ボランティアによる植林事業が進む人工的な森の道だけれど、陽春の青空と光が一歩ごと体の中の生命に届くようで、依頼心や小ずるさや小賢しさが消えていく。そして、能天気になり、少し尊大になり、「なに、なるようになるさ」とか、「どうなろうと構いものか」とかという気分に。さらに、「そうだ、山の神にも頼るまい!よくわからない力にすがるのもいかがなものか。」と気持ちが変化する。

とうとう「山の神」のところには行かず、通りすぎて、風吹岩(437m)に至る。老人から家族連れまで、多くの人がいて、弁当を食したり、コーヒーを沸かしていたりする。若いカップルのおにぎりが輝いていた。とても開放的で、新鮮な気分を満喫して、芦屋へと下った。3時間余の行程だったが、新しい意欲が湧く山行だった。(2/5)

 

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