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山と言葉


夜、山岳部のミーティング。初めての2500ⅿ越えの高校一年生Aに感想を求めた。

「えっ! いや……。先輩から先にどうぞ。」そう言って、かれは困惑の表情を示す。

「A、それは違う。」すかさず、もう一人の教員が口をはさむ。「きみに聞かれたんだから、まずは自分の感想、つまらなかったでもよかったでも、言うべきだ。三年生の声を聞いて、無難な感想で切り抜けようとしてはいけない。」と注意する。

コロナ禍で肝心の山小屋は閉鎖されるし、顧問の教員も一人罹病など、やっと実行できた夏山合宿。名にし負う「北アルプス・三大あご出し」の一つ、“表銀座”合戦尾根の急坂を登り切り、ガスで展望の利かないピーク(2488m)まで行き、往復し、9時間半の山歩きだった。付き添いの先生たちはもうへとへとだったが、高校生たちはさすがに若い、露天風呂で思い切り解放感に浸っていた。だから、さぞや豊かな感想が聞けると思ったのだが……。

この高校の山岳部も、来年いっぱいで終わりになるそうだ。顧問の先生が定年退職で二人も辞めてしまえば、後は引き受ける人がなく、「先生の趣味のためのクラブ」と白眼視されてきた山岳部は、風前の灯火。このご時世、学校内でできないスポーツなんて。もし事故でもあれば、取り返しのつかないことになるし、今の教育体制に最も遠いアナログなクラブ。山こそもう一つの教育の場、自然こそ少年たちの成長の糧、山歩きこそ自立精神養成の機会、といくら叫んでも、その経験のないものには通じない。だから、得難い機会を体得したのだから、さぞや豊かな言葉が返ってくるだろうと期待したのだ。

ちょっと、「国語」教育の問題と通じるような気がした。「山」も「言葉」も、とても大切なものなのに、人はあまり意識しないで平気で暮らしている。そんなことより、もっと合理的功利的な行動をとるべきであって、わざわざ時間と金を使って取り組むべきことでもないし、学び直す必要もない。――無理に付会するわけではないが、自己責任と共同行動で、困難を越え、独自の到達に向かう山歩きは、「国語」の発言と表現に近いものがあるように思うのだ。まずは、無難なことを言うよりも、聴き手の胸に響く一言が言えるかどうかが肝心なのだ。

いま、原田マハの『本日はお日柄もよろしく』を読んでいるが、スピーチライターたちの活躍が面白い。言葉一つで、いかなる難題も解決に導く。30年ぶりの”表銀座”、5倍も年齢が違う少年たちと歩き、さすが膝は痛むし疲れはしたが、「歩き」と「言葉」で、まだまだ生きて行けると自信を深めた。(2022.7.29.)

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