寝て、起きて!
「寝ている間に変わる」ことを実感した朝だった。昨夜は、退塾のことを口にしていた高校生から、「入試まで通わせてほしい。」という電話があり、ホッとしたのか、食事中に居眠りするほど疲れていた。とにかく入浴し入床、5時半までぐっすり。新聞を読み、26日から28日までのウエブサロンの高麗先生の文章を読んで、「人生に目的を創ることは、悪魔に使われやすい」という部分で考え込んでしまった。その高校生に、入りたい大学の目標を明らかにし、そのために自主的に取り組まねば、と話していたことや、かれが「生きる目的が分からないから、時々死にたくなるんです。」と訴えていたことを思い出したからだ。今日また相談に来る彼にどう話してやるべきか思い悩んでしまった。というより、また新たな段階のことを考えられるように変容したということかもしれない。
前から気になっていた、「存在」と「時間」のことが気になっていたので、仲正正樹氏の『ハイディガー哲学入門―「存在と時間」を読む』の第4章から読みかける。するとそこにも「非本来的な将来に即して自己を理解する」のでなく、「先駆的に決意した状態」で自己を理解しなければならないとあって、勝手な目的の想定などは控えた方がいいと分かって、驚いた。また、「いま」と「瞬時」の違い、「瞬視」に基づく「決意性」、というようなことが述べられていたので、わたしが高校生に伝えたかったのは、「先験的決意性」というか、かれ自身の「決意」を促したかったのか、というように見えてきた。担任の先生の勧める塾か、親の意志か、ではなく、あるいは、どこか場所を変えれば、機械的に成績が向上するというような安易な思いでもなく、自分の「決意」を樹立してほしいということ。
ともあれ、今日はまた新しい決意で生きていこうと張り切っている。