家政学という生活哲学・愛
死について考えるところから始まり、今どう生きるか?(応用講座)、そして存在を問う(存在論)3つの講座・講演会で今回の京都でわかりたかった自分自身の課題についての答えは得られました。
この1年間新たに動けるように環境を整えてきたので、「全部やめる」と先生がよくお話しされることの意味をちゃんとわかり、この先の動きを決めようと考えていました。特に いだきしん先生が特別擁護老人ホームを辞めると決められた時に、関わってきた方々との関係性をどのように考えられ、日本初の、当時はほとんど理解されなかった大事業を先生ご自身が舵取りをされなくなる場合のリスクをどうサポートされようとされたのか等々、ご自身の先を拓くための決断とも合わせて質問させていただきました。
いつもながら先生のお答えは全く想定外のところから飛んできます!! 本来「社会」と「家族」は別のもの、とのお話は目から鱗でした。個人、夫婦を元に、家族があり、そして家族の延長に地域があり、社会、世界があると捉えていたからです。しかし、先生のご家族のことを考えるとこのお話はすぐに合点がいきました。先生ご自身がそれまでの仕事や人間関係を全部やめられた時も「家族だけはやめなかった」と話されていたことが印象深く残っています。楽しい家庭生活があり、楽しく生きる環境創造の力は家族にこそあり、その家族モデルを老人ホームに応用されていたと知りました。
本来別物である「家族」と「社会」、しかし現代は「経済社会」に「家族」が巻き込まれてしまっていることから、コロナ禍で家族そのものの存在基盤の曖昧さが露呈したことも納得できます。「福祉」の役割は「家族・家庭」であり、家庭での楽しい生活を施設でサポートすることが先生の施設運営の基本であったと理解すると、何度お聞きしても感動や共感に包まれる老人ホームでの数々のエピソードの生まれた背景がよくわかります。
そして高齢者の生活をサポートする職員の方々の身なりをきれいにすることなど次々と鍛えていかれたこと、施設内に女性職員のための風呂を作られたことは、先生ご自身がおっしゃるように入浴サービスやショートスティ、デイケア(も勿論、暮らしの現場から生まれたすごい発想ですが)を超える画期的なこととわかります。人間の、特に女性の心身の機微をやさしく包み込むような配慮であり、Careであり、お風呂は女性職員にとってはハードな仕事(社会)を終えて、家庭へと切り替える神聖空間だったようにも感じます。働き方改革とはまさに先生が実践されていたことこそ最強のモデルではないでしょうか。女性職員の皆さんがお風呂の意味を体感されていくことで高齢者へのサポート、Careを劇的に変えていくことを先生は考えられたと推察しますが、福祉がこのように豊かな生活を保障するものと分かれば、生きがいを持って継続的に働く創造性に満ちた仕事と感じます。
老人ホームを開放型にし、地域コミュニティの核と構想されていたと伺ったことがありました。西洋での教会とは全く異なる日本独自のコミュニティの拠点を考えておられたと思いますが、家族、家庭が瓦解し、共同体が崩壊することで、今の社会を形作ってきた戦後日本の生活史もよく見えてきました。また、家政学の重要性についても示唆されましたが、先生のこれまでの膨大な実践からごく自然に受け入れられますし、生活を楽しむ生き方の基礎としてその重要性を強く感じるところです。
続く存在論でも疑問が次々と起こり、生命について、神との関係、あらゆる存在との決別など壮絶な探究のプロセスをお聞きし、やはり先生の行動原理は愛よりないと確信しました。いつもありがとうございます。