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“孤独”に会いに行く


暮れなずむ西ノ京、薬師寺の堂宇の傍を列車がかすめていく。今日の「出会い」の火照りが体にあり、心地よい疲れの中にいる。

大和郡山の平端で開催している「大和言の葉サロン――万葉に学ぶ集い」も、もう14回目。大人が日常の言語について振り返り、その質を高めていこう、万葉集の歌言葉に、国語の源泉を辿り、その水を飲もう、という趣旨。5人の参加者とてもまじめで、かつ積極的で気持ちがいい。皆それぞれの課題とすり合わせて納得するところがあるらしい。主催者のKさんが、何度も「おかげでわたし自身が大分わかってきました!」と言ってくれる。

その帰途、Kさんの車で、郡山のMさんと昼食会をし、かれを誘って矢田寺のAさんを訪ねることにする。Mさんは障害のある息子Gさんを抱え、塾稼業のあと帰農して、無農薬の米作りに挑戦している。わたしとは40年以上の知己である。そのかれをAさんに紹介するのが目的ではあったが、それ以上に気心の知れた人との会話を楽しみたかった。

Aさんは不思議な女性で、ただ四方山話をしているだけなのに、心の奥の方の周波数が同調して、それこそ「自発」的な感情が沸き起こってきて、開襟の言葉が出て来る。倒木の処理や、竹林の手入れについて、MさんとAさんの応酬は、もう昔からの仲間のよう。Gさんも熱心に聴いていて、ときどき訳の分からない叫びを発するが、ちっとも迷惑でない。お互いの共通の知人が登場して、地域の生きざまも見えて来る。きっと向後良い展開があるだろう。

わたたしは、平素から食べ物をプレゼントしてくれるAさんに年頭の挨拶のつもりであったが、自分の荒れた心を癒したい思いもあった。あいにく、氷雨が振ってきて、果たせなかったが、近くの「矢田の大岩」まで行き、パワーをもらいたかった。しかし、そうせずとも、わたしの心が温まり、力が湧いてきた。さらに、問わず語りのMさんの生い立ちや視点に触れ、この人の奥深い「孤独」に出会えたのだと思った。それは妙に気持ち良かった。西行の歌に

さびしさに耐へたる人のまたもあれな庵ならべむ冬の山里

があるが、さびしさのもたれあいでなく、さびしさの共感から来る支え合い、というようなことか。俗に、「困ったことはお互い様」というが、孤独だからこそ協働の思いも湧き、人間味の醍醐味を味わえるのだ。いや効能や目的ではない。ただ、深い会話ができれば、それが一番。何事にも代えがたい「愛」を感じられるから!

帰宅したら、Mさんから、「出会った縁」を大切にしていきたい、と喜びのメールが届いていた。そして、今朝、Kさんからも、「Aさんの言っていた「奈良には海を感じる」とはどういうこと?」との質問がわたしにあって、二人で考えながら、昨日の出会いを喜び合った。

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