KEIKO KOMA Webサロン

存在


昨日の要のコンサートにて「Cosmos」で生きる真の自分が生まれました。今日の「死について」「存在論」にて昨日のコンサートでの経験の意味がよりわかり、深まり、「生きる」ことの意味はより確かなこととなりました。先生からビデオ講演会を聞いてから帰ってくださいとのお話があり、その時から胸がどきどきし、生命の内で泣いていました。ご参加者が先生のお話を聞いて理解している状態との違いがわかるからとのことで初めてビデオ講演会を聞いてからお帰りくださいとおっしゃったのです。コーヒーも、2度先生が淹れてくださり、「死について」の後にいただきましたコーヒーと「存在論」の後に淹れてくださったコーヒーは味も違うとおっしゃいましたが、真にそうでした。先生が表現され、私たちがわかるにつれ、場も空間も変わります。その変化がコーヒーをいただくことでわかることもできますことはありがたいことです。最後は、宇宙と一体の存在を感じました。私にとっては全ての瞬間瞬間、そして先生のお話しは「生きる」ことの意味、存在することの意味がわかる経験となり、心は満たされ、喜びに満ち満ちています。

ビデオ講演会にて間違って表現してしまいましたが、キルケゴールがみつけられたことのお話しから、実存について、第一が美的実存。第2が倫理的実存。第3が宗教的実存であり、最後は神と対話すること、宇宙と合体することが存在とし最高であることをお話しくださいました。正に昨日のコンサートで経験させていただきました「Cosmos」と一体となった経験は存在としたら最高の経験であったとわかり、喜び溢れます。死を考えるので、人間とし真っ当に生きることを考えますし、存在する意味を真剣に考えます。いよいよ、時代が大きく急速に変わりました。先生のお話を自分なりに解釈し生きていける時代ではなくなりました。わかったつもりも、あいまいになっていることも当然生きていけません。わかるよりないのです。先生がわからないと生きていけない時代が来ると、いだきを始めた時からおっしゃっておられた時代が今となりました。要のコンサートとは生死の分かれ目とも昨日は生命をもってわかりました。今まではあまりこのようなことを言えば、脅しと言われかねませんでしたので、強くお勧めすることは控えていましたが、昨日より私もはっきりと表現するようになりました。9日の府中でのコンサートメッセージ「転換」の内容は現実のこととわかったからです。「今まで通りを通せば、軽くて怪我、大病を患い、死に至る」は一人一人の生命の内に見ました。私自身も生命をもってわかっています。故に、昨日のコンサートにての経験により、天に与えていただきました能力を活かしていくことを本気になり考えています。そして、要のコンサートにたくさんの方々にご参加いただけますように表現し、はたらいて参ります。先生自ら、コンサートに人を連れてきてくださいとおっしゃいました。人が多い程にその場におられる方が助かっていくのです。私はこのことをお聞きした時、何があってもお伝えし続け、貴重な一席に身をおいていただけますように動いていくと心に誓いました。自分が生きる意味、存在する意味がわかり、人も助かるはたらきができますことは人間とし何よりありがたいです。あと数年は二股かけてももつかもしれないけれどとのお話からは、数年もつのかと驚いたくらいでした。昨日のコンサートでは、人間は存在に目覚め生きていかずしては生きていけない時代が来たと見えていました。使命をわかり、生きてこその人生とわかりました。生活できる範囲で生きていることは、人間の人生ではないと見えました。それは今までもそのように感じていましたが、いよいよ時代がそうなったのだと感じました。今のうちに自分の存在を大きくするとまで教えていただいていますので、皆で取り組みたいと願います。使命をわからずには目の前の事すら判断できないのです。まずは興味を持ってもらうこと、言葉で存在を表すこととお聞きした時には魂震え、わくわくしました。それも世界に向けて表現していくことを考えますと、世界中の人に先生のコンサートをご経験いただきたい気持ちが実現することも可能であると感じるのです。向かっていけますことは喜びです。ありがとうございます。

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いだき京都事務所にて
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三鷹市芸術文化センター 風のホールにて