存在証明
先生お誕生日おめでとうございます。お誕生日の前夜に先生の講座でお時間を共にでき 幸せでした。
先日の存在論の続きのような深い世界、まんじりともせずに聞き入りました。そしてヘーゲル が問題視していたという、イエスはなぜ十字架にかかったのか、という先生の問いをしばし考えました。
私には死をもって存在を証明したのではないかと感じられました。体が熱く 香りに包まれ、湧き上がる 涙が不思議でした。不合理だらけの世にあって、誰にも理解されず 言葉で弁明するのも難しく、迎合しない道を選ぶには死をもって自らの証明するよりないと、そう感じたのではないかと感じられてなりませんでした。その根底には、以前 ロームシアターでの疎外がテーマのコンサートの時に私を裁かないでという想いが湧き上がってきたことがありました。ここから人間は中心を失って生きるようになったのかもしれないとその時に感じたことを思い出しました、
一巡してまた限界の世にあって、どんどん空間が澄んでいくごとに 浮き上がる 闇の意識、アウフヘーベン するように 内と外が統合すること。善が悪を溶かし、成熟した人間へと生まれ変わるように成長する、コンサートによって 京都から創造される新しい世界に これからも 共に創る側として心何もなく参加していきたいと、そして 多くの方々と分かち合いたいと改めて感じました。
高麗さんのビデオ講演会で喜び満ちる高麗さんの笑顔が見られ、私も嬉しくなりました。先生や先生のご家族、高麗さんにご負担がいかないような、みんなが幸せな世の中になるようにと願い、私も創る側にまわれる自分であるようにと、常に心 何もなく存在のままに生きることを目指します。本日のコンサート楽しみに参ります。ありがとうございます。