「存在」表し、愛しあう人間
「自分はどうするか?」常にそこからはじまる いだきしん先生の探求と実践のお話をお聞きすると「で、わたしはどうするか?」を常に問います。いつも真剣の切っ先が目の前にあるように感じる状態です。しかし、その状態は焦燥感や緊張感ではなくある種の充実感であり、全身に神経が集中する時でもあります。
新型コロナウィルスによって日本は、また世界が、どう動いているのかという先生による社会分析は「世界内存在」としての自分が「ある」世界の状況を把握する貴重な機会です。その「世界」で先生は必ず何かをされていて具体的にされているお話を伺うと、いつも生命賭けの活動をされており、知れば知るほど衝撃です。
また、今回は「音(おん)」をわかりやすく紐解いて下さいましたが、コンサートや講座で多様な経験はさせていただいていても、正直なところはまだわかったように感じるだけです。心臓の(音の)女性と会われた時のお話で印象深かったのは学問によって分かるのは所詮「近似値」であり、生命そのものでそのままわかるのが「わかる」ことと、わかられた時のことです。それ以来、3年間書物を手にされなかったと伺いました。
真理を探求し続ける「先生はいつも変わらぬ先生」であり、すでに奥様であった「晴美さんはやはり晴美さんだ!!」とわかり、お二人の生きる姿勢に、存在、愛、ジェンダーの本質を教えていただきました。かつて先生と高麗さんに同行し、津軽に何度か撮影旅行でお邪魔した時に東北の独特の荒れ模様の海岸周辺で撮影中に、少し離れた所から静かに見守っておられた晴美さんのお姿は今も鮮明に覚えています。「音(おん)」については肝の音から日本語の成り立ち、さらに方言にこそ正しい日本語が残っているとのお話がありましたが、あの荒々しい津軽の海流の轟音と肌に突き刺すような風雨の冷たさの中で、先生と晴美さんが会話される様子が蘇り、大いに納得しました。
「存在」を表し、愛し合える人間として生きることが未来を創ることをずっと学ばせていただいています、いつもありがとうございます。