存在するということ
盛岡での経験は本当にかけがえのない時でした。先生がなぜ言葉に重きをおくのか、正確に言葉を表現出来るか、表現することによって変えることが出来る様々な状況を考えます。やはりコンサートと講座がある、お話を聞けることで理解が深まり喜びが生まれます。
ゼロポイントフィールドのこと、先日の充溢のお話から何もなく全てあるコンサートの体感を考えました。アルファはオメガであるという言葉とも繋がると感じ無限に繋がる循環を感じます。ブラックホールとホワイトホール、生と死、私の中では対極にありながら、実は輪であると考えるほうが自然な気がしています。
偉大なる幼稚さのお話は、とても共感し向かう姿勢を学びます。どんなに学んで解ったと感じていることであっても、もしかしたらさらに先があるかもしれないと常に学ぶ受け口を開いていること、これがとても成長するには大切と感じてなりません。
存在するということ、存在とは何かを考えた時に生まれつきの運命によって作られた基盤を私達は壊して頂いたと受け取りました。それによってまっさらな状態から物事をとらえられ、今の中に常に生まれる存在として在ることを現存在としているのではないかと感じました。そして本音はこの中から生まれ、表現することで自己の破壊と創造を繰り返す、変容のプロセスに繋がっているように感じます。
高麗さんのビデオ講演会では丸都山城のお話から、高句麗伝説で感じているあの天に抜けるような空気感を思い出していました。そのままやってくるという先生の言葉を高句麗伝説の中で私もそのように感じています。
建国の神気に満ちるエネルギー、五女山城からは正邪入り混じるエネルギーを受け容れて生まれる先に向かう力、丸都山城からは邪を見透かすような天と繋がる世界の内から膨張するような熱量を、実際の現地でのお話は現地にいるように楽しく、また高麗さんの本音から今までの世界とはまったく違う世界が生まれる感じでした。
今日の仙台コンサートに向けて、自然も大きく動く中で当たり前でないこの機会に感謝が生まれます。尊いこの時をありがとうございました。