奇跡続く歴史にある存在。
存在論は「論」を外して「存在について」とのタイトルが相応しいフィールドにしていただき、昨日も先生の存在を通して様々な存在を感じ続けました。
先生が注目されている生物学はミトコンドリアや細菌、ウィルスが登場しとてもワクワクし、ジェンダーで話された「人間が無性生物から有性生物になり男と女になっていった歴史」もあり、「人間とは?」の答えに繋がる非常に興味深く大事なことが山ほど詰まっていました。そして「人間の中で奇跡のようなことが起こっていないと人類は終わる」と先生からお聞きしました。
人類の総体が起こしていくあらゆる現実、現象で起こっている見えない世界の状態をそのまま受容される先生の内面で何が起こり、先生の肉体にどのような現象が顕れているのかは推察もできないほどに過酷な状態、・・と推察することさえ憚られますが、昨日の二つの講座は真の学びに満ちていました。先生が奇跡と仰る時のことばの内実をずっと感じながらお聞きしていました。
最近「自分でわかりはじめている」と感じてはいましたが、その中心の芯はやはり推察の域を出ず、ただ推察をこれだけ長い期間継続していると確信に近い状態になります。前回の存在論ではこういう状態は「わかる」のではなく「信じる」ということなのかがわからなくなりお聞きし、「対話を通して理屈が合っていけばわかっていくプロセスにある」と教えていただきました。昨日の二つの講座中は喉元まで何かことばが出そうでしたが、ことばにならずそのままお聞きすることに集中しました。
早朝に目覚めてことばになリました。
いだきしん先生がこの世に生まれられたことが奇跡のはじまりです。新しい愛が生まれ、真の人類史がはじまっています。
どういうわけかその時代に少し遅れて生まれ、出会うことができて、いだきの実践のチャンスを山ほどいただき、貴重な経験は山ほどさせていただいています。推察という状態を超えるためには愛を自分の肉体と内面でわかるしかないと捉える今です。必要なのはコンサートと講座、先生との対話。そして新たな行動です。自分自身の中から生まれ、困難はあっても続いていき、頑張らずにやり続けていく行為、行動、存在表現。
やり続け今ある存在。先生の存在を深く感じる存在。何億何十億年という時も今ここにあるとわかる人間のいのち。人間本来の生き方は年齢を重ねるほどに充実し、存在者ではなく人間として、存在そのもので生涯現役で生き切る新たな人間。先駆者がいつもすぐ目の前におられるというこの幸運、この恵まれた現実をどう生かすか自らに問います。
いつも尊い経験の場をありがとうございます。本日のコンサートよろしくお願い致します。