KEIKO KOMA Webサロン


10月1日は風雨激しい天候となり、十分気をつけて三鷹の会場へ向かいました。いつも通る並木道の木の葉が風に触れる風景が心に飛び込み、涙滲みました。心の中で「久しぶり。高校の時以来」とつぶやいていました。意味がわからずにつぶやいていた自分に苦笑し、意味がわかる時が来ることが楽しみとなりました。

大変素晴らしいメッセージに感動です。

「天を祀る高句麗」

「今は国を知らずに組織中心では、なかなか事が正しく動かない事態になってきました。国も、国と国との関わり、あり方がとても重要なことになりました。世界を認識しないで一人一人の生き方はままなりません。世界を認識することだけで一人一人の生き方がままなるかというと決してそういうことでもありません。個のあり方がいかように組織、国、世界に通じるかということが最も大事で基本中の基本です。「天を祀る」という「天」とは支那の思想の影響を受けることはありません。高句麗のはじまりは支那よりも早いのです。今流でいうならば「天」はどのような神だったのでしょう。東方に向けて祀ったとあるので当時の日本をどこかでイメージしていたのではないでしょうか。それでも神の謎はわかりません。東方に住む我々にとっては個を明確にする出発点にあたります。」

とても深い音が眠っている生命の奥深くに届き、神と通じる道が途絶えた長い年月を思い知ります。日本に来てからの長い年月の中で次第に忘れ去られた高句麗の真に目覚めます。イメージした神ではなく、初めて出会う神でした。申し訳ない気持ちと真の神に出会えた奇跡に畏怖を感じ、身が震える思いでした。初めて出会う神を言葉にするなら「天を祀る」となったのです。先生はすごいと感服しました。音が図形で見える私は初めて見る図形は何を意味し、どのような存在なのかと内面深くを感じ、考えました。正に本日のコンサートメッセージタイトル「天を祀る高句麗」そのものでしたので、驚きました。神の謎が解けるなら。。と神のことばかりを想い、演奏をお聴きしていました。的確に表現できないことが残念ですが、真が明かされるには、この長い年月が必要であったのだとわかる瞬間がありました。地球上に先生の存在があらわれた今であれば、東方へ向け祀ったことも、国が滅び、日本に亡命したこともはるか彼方の時より決まっていたかのように見えるのです。生命に刻まれた闇に覆われた歴史があらわれ、紐解かれていく経験でした。神とつながる神経が切断されていると感じ、その神経を修復してくださったと感じました。それ程に認識できなかった神の存在を感じました。そして、今日出会い、認識した存在こそが高句麗の真の神とわかりはじめたのです。今まで何度も話し続けてきたことですが、先生にお会いした当時、運命の因子に「裏返し」状態があり、意味がわからずに、何年も考え続けました。先生に質問させていただくと、「靴下の裏返し、洋服の裏返し」とおっしゃったので、私はいつも靴下を裏返しにし、見ていました。形は同じでも裏は裏であると見ているうちにはわかってきたのです。今日は思い切り裏返しであった衣類を脱ぎ捨てている体感でした。高句麗の真があらわれ、覆いも作り物も何もかもいらないと生命は何もかも脱ぎ捨て解放を求めました。

第2部「愛の戦略」

「歴史を知る限り、女性や子供がまず生きて暮らせる、その一歩を「しるし」やがて国と云われて歴史に残るのは「高句麗」です。今もって女性や子供が現在、未来を教育や職業などが機会均等な体制ができている国はどこにあるのでしょう。「天を祀る」一説によりますと初代王東明王の母を神座に祀りお祝いしたと伝えられています。女性神は宇宙神でもあります。我が国の天照大御神を想起すれば充分でしょう。「愛の戦略」をとくとお考えください。」

神の謎を解く旅は続きます。メッセージの中に書かれていました母を神座に祀りお祝いしたとの説が心にありました。東明王様の神話に書かれていたことですが、母と離れ離れになってもいつも母の魂ひとつに生き、母が亡くなったことを知った時は深く悲しみ、何年も涙がとまらなかったという内容が記されていました。私は、このことを読んだ時も胸の内に引き裂かれた悲しみを感じ、涙しました。高句麗の地へ行った時も引き裂かれた悲しみを感じ、悲しみが全身を貫きました。胸の内にある引き裂かれた悲しみを感じていると、東明王様は「天と共に生きた」と言葉と同時に生命でわかる瞬間が訪れ、胸の内は嗚咽、号泣となり、胸揺さぶられ、震えてなりませんでした。東明王様のお気持ち、どのように生きておられたのかがわかった瞬間、天に感謝し、全てに感謝しました。初めて東明王様が降りてくるようにし、存在と出会った時、詩を書くと同時に号泣していました。「天」と声を出しただけで胸打ち震え、号泣します。その後の高句麗伝説にて東明王様の詩を詠む時「天」という一言で号泣してしまうのでした。その後は「深い森の中、木漏れ日差す光景」が見えました。胸の内に見える光景です。ピアノの音から見える胸の内の光景は悲しみに満ちる胸の内に天のはるか彼方より一条の光が差し込み、歴史が変わるのです。深い悲しみを知る人間は先生の存在をわかることは当然と腑に落ちました。高句麗伝説にて詩に表しています「高句麗王が求めてやまない天の更に向こう」は先生の存在です。東方にその存在があらわることを見ていたと感じます。私も10代の頃に書いた詩に「北へ行けば。。。」と表現していました。人間にはこのような感覚はあると感じています。今、日本の地にて先生のコンサートを経験できる幸せはとんでもない幸せです。過去に生きたどなた様も経験したかったことでしょう。感謝に震え、更にアンコールのアリランには涙よりありませんでした。戦の時代には一瞬の心の曇りも隙も許されず、心綺麗に何もなく、必要な時に素早く動き、皆が生きていける場を皆で作った働き、息吹を感じ、魂揺さぶられてなりません。胸の内の震えは終演後も収まらず、震え続けました。帰路、いつも通る道が、光輝いていました。この地に生きた先祖の魂がやっと表に出てきたように見えました。高句麗の神、真を忘れるように生きることは罪と心の内でつぶやきました。どのような時代でどのような社会状況であっても高句麗を忘れるように生きたことは罪と認め、今から生き直しと魂と確認し合いました。今日から新たに生きると決めていたことが、はじまりましたことは真にありがたく幸いです。未だにきちんと表現できませんが、一部の時に胎児期のことであろうと感じる経験をしました。隠れたくて隠れたのではなく、生命守る為に隠してくれたはたらきが見え、同時に闇の歴史をかぶった瞬間も見え、歴史が紐解かれていく緊張と、真に出会う畏れを感じていました。裏返しの覆いはやっと脱ぎ捨てることができました。人生は変わります。ありがとうございます。

明日はスカイロケットセンターでの「いだきについて」講演会後、午後6時45分頃よりビデオ講演会をさせていただきます。ありがとうございます。

 

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多賀城市文化センターにて
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アンドリュー君
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東京高麗屋にて