KEIKO KOMA Webサロン

天へ伸びる木


古代高句麗、天を祀る日の三鷹でのコンサートをありがとうございます。コンサートメッセージで高句麗のはじまりは支那よりも早いとお聞きして、やっぱりネェ、優れたものは無かったことにしたくなるのよネェ、でもやっぱり本当のことは本当のことだから認めるよりないでしょう、それ以外に何もないでしょう、と何かに心で話しかけます。あんまり早すぎても、後から出てきた側からは上手に認識できないもので、なかったことになっちゃったり、つけらっと(しれっと)取られちゃったりするよねぇ、と、生まれつきの能力差ある存在の間は愛によってより埋まらないこと、人間にとって一番大切な愛について感じ考えます。「天へ天へ伸びる木」がシュルシュルシュルっと音をたてて、力強く在りながら同時に軽やかに光輝き、その存在を天へ向けて解き放っていく姿は本来の宇宙の広がりを感じ、キラキラと舞う光の粉は希望よりなく、この身も空間と一つになり内面は広く広くなっていきます。葉が赤くなり秋深い山の高句麗、土の香りを醸す静かな雨音、美しい時。自然とともにあったいのち、東名王様の亡くなられた秋。「愛の戦略」とはIDAKIアントレプレナーコースの文章でお聞きしていて、音を体で学べることに内面躍動します。「歴史を知る限り、女性や子供がまず生きて暮らせる、その一歩を「しるし」やがて国と云われて歴史に残るのは「高句麗」です。」そうだったのかと。そうだとしたらやっぱり高句麗は素晴らしい国です。我が国日本の礎と深く関りながらも、そのものではないらしい高句麗という存在を音からいのちで感じ、本当に素晴らしい実り豊かで高潔で美しい国であることを改めて、いのちでわかりました。美が真実で良かったと涙滲みます。

29日どりーむホールに続き実家にサウンドシステムを繋ぎ、家族と配信を聴かせていただきました。思っていたのと違った現実をなるべく直視したくなくて、「自分の傾向でものを見る」ように何かしら理由をこじつけてみるのですが、ただ単に認めれば良いことを大げさに捉えてしまっているだけとわかります。認めればそれほど大ごとでもなく、ただ、今の現実が今まで思っていたのと本当は違ったというだけです。いつまでもびっくりして止まっている必要もありません。より内面を豊かに内の光の情報を道しるべにと改まっていきます。ありがとうございます。

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多賀城市文化センターにて
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高麗屋スペシャル 
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六本木東京高麗屋にて