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天の声聴く王


2日間の高句麗伝説をありがとうございます。

初日の高句麗伝説を経験した翌日は、以前より予約しておいた東京国立博物館で開催されています「聖徳太子と法隆寺」特別展に行きました。国宝や国宝級の重要文化財を見れる機会があり、見たいという気持ちが起こったことが内面の変化と感じ、今までとは違う何かを感じました。本物はエネルギーが違います。良いものをたくさん見ることが大事と以前、いだきしん先生が仰っておられたことを思い出します。聖徳太子の筆によるという書や、太子が生きた時代の工芸品を拝見しながら聖徳太子の国創りにかける息吹きを生々しく感じました。太子の師である高句麗の僧慧慈も、高句麗建国の精神を伝えて、この日本の地で実現することに邁進されたと感じます。ましてや国が滅ぶことを予感し、滅ぶずっと前から異国の地で礎創りをした高句麗王、その王の魂受け継ぐ御方がこの国で国創りをされていたことを国宝の「法隆寺献物帳」にお名前を拝見した時には、ドキッとしました。高麗福信氏は単なる国司と言うよりは、国家の中枢におられた方である事実を実際に目の前の署名を見たときにリアルに感じました。本日、久しぶりに、また2日間の高句麗伝説後のビデオ講演会に参加でき、高麗さんに直接お目にかかれましたことが大変光栄です。講演会の中、高麗さんの中にずっとあった「ひねくれる」感覚のお話しを伺いながら、昨日の高句麗伝説で若光王様のお言葉が蘇り、「聖徳太子と法隆寺」展の中で感じた、この国では「高句麗」が表に出て来ないこととつながっていくのです。武蔵守の福信氏も「高麗」の署名でなく「巨摩」と署名されていたことも、「ひねくれる」素をつくってしまうのではと感じるのです。格別に秀でた能力があったからこそ国家の中枢にまでなられていても、「高句麗建国の精神」をそのまま表し、天を顕す国創りができないのでは「片隅に追いやられ」ていたのではと想像してしまうのです。天の意をわかる資質を受け継いでいたからこそ、存分に発揮できる場がないのでは王の魂が許さないのでしょう。その当時では仮に発揮できるとしたら最高国家権力者になるよりなく、その道は選ばず、天のさらに向こうの世界が開かれるのを待つ、真の国創りを選ばれたと、目の前におられる高麗恵子様の裡に脈々と続く高句麗建国の精神をみるのです。

展示御物には太刀や馬具、盾などもありましたが、どれも美しく、武器と言うよりは最高の芸術品と感じます。まさに人を殺めるものでなく、神宿る品々と感じ、神ともにあることを常とする生き方が勝利を招くことを古代の御方々はご存知だったのではと感じます。展示品の中に国宝の「水滴、墨台、匙」があり感動すると同時に、いかに日頃、合理的と言う名のものとに貧相な生活で生命の豊かさを失っている自分をわかったのです。国宝でありますが、思わず高麗さんにプレゼントしたい!と感じました。この様な水滴から匙で硯に水を落とし、墨をゆっくり擦りながら、その墨を墨台に置いて、紡がれるお言葉は世界を変える力があり、1000年先、2000年先まで創造されることでしょう。

ありがとうございます。

e国宝HPより     https://emuseum.nich.go.jp/

 

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