KEIKO KOMA Webサロン

大きな一日


昨日の狛江のコンサートにて、犠牲にならない生き方を取り戻すとお聴きし、心臓がドキッとしました。無意識に分からないようにしていた部分に、触れられたかのようでした。まるで汚れが洗剤で丸く包まれて、剥がれ落ちていくかのように見えます。いつの間にか深いところで意識が遠のく感覚に陥りました。すると見えてきたのは、日頃の会社での細かな業務と換算されるお金、それも細かい小銭のお金が結びついている絵柄が見えました。まるで意識していない、無意識に組み込まれたお金と命の犠牲が、ここまで根深いものなのかと驚愕します。これは一大事だと、はっと目が覚めた第一部です。

第二部のメッセージ「疎外された愛」は、メッセージの一言一言すべてがその通りですと涙しかありません。繰り返し、繰り返し、何とかしようともがきながらも疲れ果て、また朝が来て1週間が終わり、既に12月となりました。「愛以外に疎外から解放されることはありません」との言葉を深く受け止めたいと姿勢を正しました。それなのに、過去の様々な場面が次々と浮かんできます。過去は戻る事はできないと分かっているはずなのに、「あの時こうしていれば、違う人生だったかもしれない」「今があの時だったらよかった・・・」今更ながらの思いが心の奥にありました。そんな中で、先生のピアノが鳴り響きます。「だからこそ、今に生きる」と言葉が生まれた瞬間、先生の音がやっと体の中に入ってきました。後半ギリギリに間に合ったと、心から安堵しました。「疎外」されながら「疎外」自体が分かっていないと自覚するコンサートです。続いて応用コースがあることに、ありがたいと感じました。

講座のピアノの音が、まるで違う形で体に入り驚きました。早春の雪解け水が体に流れ、明るい日差しを一杯浴びているようで嬉しくなります。それなのに先生が何をお話しされるのかお聴きしているうちに、何やら気持ちが悪くなり冷や汗が出るような腹痛が起こり始めました。そのうちに治まるかと思いきや嫌な予感が膨らみ始めます。先生が白板に「物神化」と書かれる時、失礼だとは思いましたが途中席を外しトイレに籠り暫く苦しみました。今までにない経験です。お腹を壊す痛みと、講座を聴きたい思いと、戻らなくてはいけないという焦りで一杯の中、先生の声がトイレの中でも聴こえることだけが救いであり、何があっても大丈夫と安堵感に包まれました。恐る恐るお腹の様子を気にしながら席に戻ると、「疎外」についてお話しされていました。「医療で自分の人生決まりますか」という言葉に首を横に振りました。薬で病気になることも、よく分かります。私も手術後二年間、予防のためと称して胃腸の働きを活発化させる薬を主治医の言葉のまま飲み続けました。もともと薬は大嫌いだったので、やめることだけを考えて今まできました。普段は元気に過ごしていても食後の薬を飲むこと自体が、自分は病人であると自ら自覚させられているようで嫌だったのです。そして、昨日ははっきりと主治医に「薬はもう飲みません」と告げました。やっと解放された矢先の応用コースでの先生の言葉をお聴きし、これでよかったとつくづく思います。また、人のことはよく分かるもので職場でも一生懸命自分がやった分、逆に周りに傷つき何倍も自分が辛くなることもありがちなケースです。仇となって周りが敵に見えると、居た堪れない気持ちになります。先生が仰る通り、自分の価値観で感じ人を裁きにかけます。繰り返される体制の中での限界の中、あらゆる疎外があると気づきます。「疎外に効く薬はない。一番いいのは、ちゃんと美味しいものを食べること」「これから新しい体制をつくっていく」との先生の言葉をお聴きし、自分の中から力が湧き起ります。お腹の働きにも感謝します。一回、一回のコンサート、継続し続ける今、今の連続を疎かにせず生きることが、今ほど大事であると肝に銘じた一日です。ありがとうございます。

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盛岡市民文化ホールにて
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レバノンより
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パイプオルガンの前で