大いなる母
これまで光が当たりこの世と見せられていた世界には、実は裏があり、裏からこの世を映しだしたとき、この世はまるで今までとは異なる意味を持ち、異なる光に満ちていることを知りました。宇宙の裏側というのか、この世の裏というのか、先生の音と共に誘われた真逆の世界にあって、今までみていた世界は実は半面でしかなかったのか、という驚きの中にありました。真逆と感じるのは、第一に最も大事にされたのは、女性の身体、生命の誕生であったからです。中心には女性の生命、生命の誕生があり、一人ひとりの生命を守ることが統治の意味するところであったと知りました。多くの歴史にあるように、力や暴力、恐怖によって人々を支配するのとはまるで真逆の、数段にも賢い姿に愕然としました。大いなる母、真の母との出会いは衝撃的でした。真の母の存在に触れるとき、本来男も女も母から生まれているはずなのに、私たちが生きるこの世は母がいないのだと感じ、涙が流れました。真の母の存在があり、人は健やかに育つのだと知りました。人類史の中に現れた高句麗の存在に心から敬意と感謝の気持ちがこみ上げます。日本には、縄文という長い時代があったことも生命の裡には忘れ去られることのない光として感じます。大いなる母の元、子の誕生はまるで神事が執り行われるような空気に満ちていました。尊く、神聖なことであると感じるのです。今生きる社会は、今日経験させていただいた世界とはあまりにもかけ離れていると感じます。第一に女性の生命が大事であり、子の誕生と健やかな成長が大事である社会は、現実にはないのです。ないなら、つくるよりないのだと生まれ、力が湧いてきます。高句麗の天を祀る日に、とても尊く、重要なことを教えていただきました。本当にありがとうございます。