大いなる御手
京都の大転換期のコンサート、その前にコグリョカフェに伺うことが出来たこと、本当に貴重な経験でした。書いて頂いた詩はその時はピンとこず、しばらく文字を追っていました。コンサート後の今、新しい気付きとそこから新たな疑問が浮かび、解釈せずに在るがままということ、もう一度見つめ直します。
コンサートはパイプオルガンの突き抜けるような音に体中が痺れて、胸のうちに銀河が拡がっていく体感でした。会場の熱気はうねるように熱く、先生の演奏される場が整っていると感じました。人体はミクロコスモス、小宇宙と呼ばれ、宇宙と呼応するように望遠鏡と顕微鏡の写真を比較された時には、その相似形にあまりに驚いたことがあります。望遠鏡や顕微鏡がなかった時代に生きた方々はどのようにして、これを知ったのだろうかと人間の可能性の大きさを考えます。
演奏からは大いなる御手に抱かれるように優しい空間がひろがっていました。先日読んだ著書でマザーツリーと呼ばれる樹があり、森の土の中でネットワークを作り、弱っている木を助けていることを知り、人ももしかしたら本質はそうなのかもしれないとコンサートの時の体感から感じます。神経回路であるシナプスと銀河の相似形、自然も人も豊かであることが大切と気付きます。たくさんの方々と京都で、また各地で先生のコンサートの時を共有出来たこと、本当に宝物のような時間でした。心よりありがとうございます。