夜空
盛岡コンサート、里山らしき夜空の風景、山や里の真っ暗い中に、空の明るさだけが広がる。その空をずっと見上げていた。自分がどうするかだけ。と講座などで聞く言葉を思い出していた。最近、時々内面で呟く。以前より身近になった言葉。自分がどうするかだけ、ふっと、人の目から解放される心体になる。マンホール蓋のような二つ飛び出る、胸の詰まり取れ全細胞息吹き返す。心臓の内から光放つ。 列車見送る後姿、上っていく長い連結車両の横顔を、金粉吹き散らすように輝きまき散らす姿を音から連想しながら見送っている。車内の体感には程遠く、感じようとの想像続く。座席の背もたれからはみ出す後姿に光の姿を見る、一瞬。会場の背もたれに背中を強く押し当てている体感には、なんともはぁ である。演奏終わり近くになり、手足お尻の全身の輪郭が戻ってきてはっきりする、と、海上を低空で走る列車に乗車している体感。座席に座り私は動いていない、が、箱は動いている不思議な体感に注視しないと気づかない。飛ぶ滑るは今までの演奏中に体感しているけど。
まさに今移動中、日常での移動中の箱に乗っている、改めて体感してみても、体感だけ味わうと不思議な体感に変わりはない。今まで何も感じず、当たり前に乗っていた、こんな捉えて方は初めてだと感じていると、書きながら、遠い昔に乗ったジェットコースターを思い出した。ありがとうございます